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「じぶんをたいせつに」 くらいわかってる 「いやなひとからはなれよう」 くらいわかってる 「すいみんがだいじ」 くらいわかってる でもそれができないから くるしいんだ そこにたいするこたえを ずっとさがしてるんだ せいろんよりもまず なによりもそこにこそ よりそってほしいんだよね なでなで。
「おし」の"そんざい"は おせるうちにおしたい 「おし」の"すばらしさ"は おせるうちにつたえたい 「おし」の"とうとさ"は おせるうちにかんじつくしたい 「おし」の"ありがたさ"は おせるうちにかんしゃしたい 「おし」の"おうえん"は おせるうちにおしまずしたい。
きみは「くず」でも「きもちわるい」でも「きたない」でも「ばいきん」でも「ばけもの」でも「のうなし」でも「ていへん」でも「まけぐみ」でも「だめにんげん」でも「やくたたず」でも「いきるかちなし」でも「どれい」でもない。ぜったいちがう。だれがなんといおうと「きみはきみ」だよ。なでなで。
「こぶし」でなぐられたら ちがでたりするように 「ことば」でなぐられたら なみだがでたりもする どっちのほうがひどいとか かんけいないよね 「かんしょく」がなくて つみのいしきがうすいだけで どっちもおんなじ いのちをうばいかねない りっぱなぼうりょくだ。
かみさまでもあるまいし しっぱいせずにいきるとか できるわけないんだよね ただそんなじぶんでも こんなにつらいじんせいを ころんで・ないて なやんで・きえたくて それでもそれでも じぶんなりに できるはんいで すごしてるんだから そこはほんとうにもう 「かみぷれい」と いってもいいとおもう。
「せいかくはかおにでる」 ってきめつけられるたび それがひろまってしまうたび さべつをうけてきた じぶんのだいきらいなかおを まわりからじっとみられて "しなさだめ"を されてるとしかおもえなくて そとにでたくなくなる そういうひともいるんだよね なでなで。
「だれもあなたをすくえない」 「あなたをすくうのはあなただけ」 「じぶんでなんとかしないと」 そういわれると そのあとたとえどんなに ゆうきをあたえることばを つくされたとしても 「たすけはないんだ……」 ってぜつぼうしかのこらなくて このよにしがみつくいみを ぼくはうしなってしまう。
「あけないよるはない」は どうやらうそっぱちで こころはいつもくろいろだ なんてあじけない なんてあじけない だれかにしってほしくて だれにもしられたくなくて やくたたずのぼくは たぶんしんだほうがいいぼくは ためいきをたべて じぶんをだいて かけたつきをみあげてる。 #にゃんひーの詩
しぬほどくるしいときに 「いきてればなんとかなる」 「いきてればいいことある」 っていうことばを “みらいまでいきてるぜんてい”で いわれてもぼくはうれしくないし 「なにをこんきょに?」 「いつなんとかなるの?」 としかおもえないんだ だってしぬほどくるしいのは “いま”なんだから。
「じぶんをせめるな」 「それができたらくろうしないよ」 「なやんでないでねろ」 「ねむれたらどれだけらくか」 「さんぽだけでもしなよ」 「ぼくにとっては『だけ』じゃないの」 「あれもむりこれもむりって」 「ほんとうにごめんなさい でもあれもこれもぜんぶむり 『だから』つらいんです」