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『カルナル 愛の不条理』“Karnal”
1930年代フィリピンの片田舎で起きた、ある新婚夫婦を中心とする騒動への追憶。マニラの都会生活が恋しい嫁、と心通わす聾唖青年。嫁に欲情する義父、を目撃する義妹、すべてが許せぬ夫など、愛憎肉欲連鎖の汲々たる無限回廊の全体をマルコス独裁風刺とする’84年作。
今回は、下記十作品を扱いました。
ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ
娘は戦場で生まれた
レ・ミゼラブル
シェイクスピアの庭
地獄の黙示録 ファイナル・カット
ダンシングホームレス
ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像
刺青
赤い天使
青空娘
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ミイラ展@科博。
世界の干物大集合。南米エジプト即身仏パプアの干首など定番抑えつつ、欧州《湿地》エリアとか海外ミステリー調のゾクゾク感が地味に楽しす。江戸の本草学者が柿の種大量服用し、保存効果の自説証明した柿色ミイラ凄い。下から覗き込むと山手線で文庫読んでそうなニ枚目↘のお顔立ち。
『エッシャー 視覚の魔術師』
幾何学不思議図絵により、“絵で考える”をガチで実践しつづけた生涯。「私は数学者だ」と芸術家としての評価を受け入れなかった真意が精彩かつ丹念に示される。アニメとなってエッシャー迷宮を自在に走り回り、車輪化するダンゴ虫《でんぐりでんぐり》がやたらかわいい。
こうした「日本性」の語用については、粗暴さとか右傾っぽい心象をみとり忌避感を抱く人が想像される(自分の中にもいる)。
でもこれはそういう感覚水準から一周回った話で、例えばローカルと普遍を対置し後者に軍配を上げる手つきの凡庸さは、少なくとも表現領域では殆ど愚かしさにも等しく昏い。
『天気の子』
東京の地べたを今日も這いずり回る人々の上空を、少年少女がイルカのように泳ぎ回る爽快さ。新海誠十八番の新宿キレイキレイの術が池袋・神楽坂上や田端にまで降り注ぎ、築地・月島などもチラ見せ眼福。『君の名は。』の表層だけを剥ぎ天日干しにした軽さしかない仕上がりこそ今日的な。
『ブレス あの波の向こうへ』
サーフィンと出逢ってしまった少年ふたりの物語。やんちゃ坊主と内気少年が荒波に挑むなか成長しゆく様は瑞々しく、波の描き分けが新しい。『メンタリスト』のサイモン・ベイカー、物語の基調低音を倍音化するような監脚+出演の獅子奮迅ぶりで、豪州スターの面目躍如。
今回は下記12作を扱いました。(含短編2作)
イメージの本
幸福なラザロ
ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ
ある少年の告白
僕たちのラストステージ
アガサ・クリスティー ねじれた家
救いの接吻
リアム16歳、はじめての学校
殺し屋
ビル・エヴァンス タイム・リメンバード
処刑の丘
チェス狂
“Kusama: Infinity”
草間彌生の伝記映画秀作。NY時代にウォーホールら抽象表現主義&ポップの大物達が草間から剽窃する場面に盛った感あるのはご愛嬌として、地元松本市でのバッシングなど日本人には撮りがたい距離感と鋭角性。観客心理を巧く抑えたウェルメイド語りは飽きさせず、日本公開待たれる一作
この日は朝から暖かく、西館中庭を望む八畳間には正座黙想する白人のおば様がいて、邪魔にならないよう少し離れて座り『蒐集物語』を読み了えた。するとおば様「ふぅ気持ち良かった」と日本語を洩らし、あ、寝てたのかもと。近場の日本近代文学館“新世紀の横光利一”展も観るつもりが時間切れ、小確幸。