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1978年(昭和53年)。映画「サタデーナイトフィーバー」の大ヒットで日本にもディスコブームが訪れます。「フィーバー」という言葉は流行語にもなり、人差し指を出して腕を上げるポーズも流行りました。
1924-1928(大正14年-昭和3年)。雑誌『少年倶楽部』で大人気を博した小説『神州天馬侠』(原作・吉川英治、絵・山口将吉郎)です。山口将吉郎の絵は細密で迫力があり、吉川のドラマチックな原作を大いに盛り上げています。写真は挿絵と大日本雄辯會講談社による単行本の広告です。
戦後の一断面です。1949年頃、ヒロポンを売っている少年(1枚目)。ヒロポンは1951年に全面禁止されましたが、その後もしばらくはおさまりませんでした。当時は多くの文筆家や芸人も打ってたようです。2、3枚目は1955年の「魔薬読本」という本より。
1932年(昭和7年)。自宅の書斎でくつろぐ横光利一(1898-1947)と妻子です。川端康成の盟友であり、「純文学にして通俗小説」という主張は戦前の若い世代の圧倒的な支持を受け「文学の神様」とまで称されました。2枚目は翌年、若き日の岡本太郎(左)と。
とと姉ちゃんもいよいよ佳境ですが、「暮らしの手帖」の数々の凄まじい商品テストです。(1)石油ストーブの発火は毛布で消火できるか(2)トースターで1000回焼いて故障するか(3)(4)ベビーカーで100km歩行して壊れないか
以前貼ったものばかりであれですが戦前の大阪の風景・人を。(1)道頓堀でしょうか。街中の夜景(2)千日前歌舞伎座付近の賑わい (3)モダンボーイとモダンガール (4)スケートをするモダンガール
1937年(昭和12年)。「アサヒカメラ」より、詩人の萩原朔太郎です。
萩原朔太郎(1886-1942)は日本近代詩の父と称され、『月に吠える』『青猫』など日本の口語詩の完成者と言われる作品を発表しています。
久しぶりの作家シリーズ、推理小説界の巨星・江戸川乱歩です。(1)1912年 18歳の頃(2)1926年 左から2番目、32歳の頃。右隣は川口松太郎です。(3)1957年 手前、63歳の頃。一番左が松本清張で右から2番目が曽野綾子です。