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バルビゾン派の場合だと、いわゆる代表作家のコローやミレーじゃなくて、前に画像を挙げたドービニーやこのアルビニーとかかな。特異ではなく「良質だが凡庸」な作品たちから、そこにある問題群を抽出する作業(何が典型・類型たらしめているかを見る)って、わりと重要。
Henri Joseph Harpignies
「不透明な絵具でいかに透明に描くか(透明度の描き分け)」は絵のオーソドックス過ぎる課題だが、ヴァロットンの描く水はその淀み・濁り方のほうが目にとまる(草木のモコモコした描き方との調和・不調和も)。水だけでなく陽光もたまにゼラチン質ぽいモノになりかかってたりする。
Félix Vallotton
二つの似たものが、同じ向きで水平線と対峙しているだけなのだが、人のも家のも船のも、どれもそれぞれ、そこはかとなくおかしい。
Caspar David Friedrich
荻野僚介さんがフリードリヒを好きだって話を聞いて、意外だったけど、見直してみたら、なんとなくわからなくもない感じ(推してたのはこれらの絵じゃないけど)。