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Eduardo Paolozzi
“Conditional Probability Machine” 1970
“Cloud Atomic Laboratory” 1971
それはもちろん回顧的な眼差しにすぎないとも言えるが、実現し(きら)なかった可能性を反実仮想的に考えることほど、過去の作品をみてて愉快なことはない。自分が作家ならブーメランだが。
ある作家の仕事の総体ではなく、特定の過渡期の作品が気になる、ということはままあって(逆に言えば、総体は信用ならないと判断しているわけだが)、たとえばもし、シュティルスキーがこの1927年の時点の作風を展開していたらどうなったんだろう?とか考えたりする。
Jindřich Štyrský
@sakuraikeisuke 1938〜42年頃の、ポロックが精神科に通院しているときに書かれた「精神分析用ドローイング」と呼ばれているものです(どのくらい治療目的だったかは定かでない)。いわゆるドリッピング/ポアリングの画法になる前ですね。
補填されることがかなわぬかたちで決定的に何かが欠けているという空白感と、何かを充填するべく待ち構えているような空白感。欠けた何かは宇宙の外に行ってしまって埋まりようがない、という前者の空白が気になるのだが、ほとんどの場合、後者の、機能としての空白のほうで理解してしまっている。
麩菓子の内実?モノのエクトプラズム? Robert Rauschenberg “Pages and Fuses” series 1974
. @naotakamiyazaki 偶々TLに出てた別の画像「光学迷彩化したステンレスのゴミ箱」と比較すると、コーリン・ロウ思い出すね。ゴミ箱は「実の透明性」で、宮崎さんの分析した赤い三角コーンの画像は「虚の透明性」。ヤボだけど。