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ある作家の仕事の総体ではなく、特定の過渡期の作品が気になる、ということはままあって(逆に言えば、総体は信用ならないと判断しているわけだが)、たとえばもし、シュティルスキーがこの1927年の時点の作風を展開していたらどうなったんだろう?とか考えたりする。
Jindřich Štyrský
@sakuraikeisuke 1938〜42年頃の、ポロックが精神科に通院しているときに書かれた「精神分析用ドローイング」と呼ばれているものです(どのくらい治療目的だったかは定かでない)。いわゆるドリッピング/ポアリングの画法になる前ですね。
補填されることがかなわぬかたちで決定的に何かが欠けているという空白感と、何かを充填するべく待ち構えているような空白感。欠けた何かは宇宙の外に行ってしまって埋まりようがない、という前者の空白が気になるのだが、ほとんどの場合、後者の、機能としての空白のほうで理解してしまっている。
Andre Derain “Still Life” 1912 (detail), Alberto Giacometti “Suspended Ball” 1930-31(detail)
「ぬけがある」って重要だな「まぬけ」って空間用語だよな。Braque “Carri Saint Denis” http://t.co/tiZ6IRCbgD “Le Park de Carrières Saint Denis”
2、3年経つと以下のように洗練してくる。でも割と、むにゃっとした身体感覚は残存してる。Mark Rothko “Gethsemane” 1944 http://t.co/kwMeq4tWcG “Ritual” 1944