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知覚されようとされまいとあり続けてみえるものは強い。それは包まれる安心感と脅かす不安感の両方を与える。例えば太陽(や月)が単にあるのではなく、あり(照り)続けているという感じをどう描くか。ダヴの波紋のようなグラデーションの多用はこの両義的な持続感に関わっていそうだ。
Arthur Dove
「主観のなかにあるものはすべて客観のなかにもあり、しかもそれ以上のものである。客観のなかにあるものはすべて主観のなかにもあり、しかもそれ以上のものである。だからわれわれは二重の意味で見離され、かつ守られている。」(ゲーテ)
Paul Klee
それにしても、絵の中で眠っているのと死んでいるのは紙一重…。眠っているのかただ横たわっているだけで起きているのかも判別困難なこともある。どちらにしろ絵なのに(写真と違いその奥に事実が控えていないのに)だからこそ、その不明瞭さの立ち現われ方に、画家の技量と全意図とが凝縮される。
フルーツとそれを(運ぶために)梱包する箱と梱包材とがバラバラになった状態を一画面に描くこと。梱包材は移動の際中身が傷まないよう軟らかく固定するものだが、詰め物としての充填作用から解放されたそれは、画中でアンフォルムな存在感を帯びはじめている。
Leon Underwood “The Fruit Unpacked”
バルビゾン派の場合だと、いわゆる代表作家のコローやミレーじゃなくて、前に画像を挙げたドービニーやこのアルビニーとかかな。特異ではなく「良質だが凡庸」な作品たちから、そこにある問題群を抽出する作業(何が典型・類型たらしめているかを見る)って、わりと重要。
Henri Joseph Harpignies
「不透明な絵具でいかに透明に描くか(透明度の描き分け)」は絵のオーソドックス過ぎる課題だが、ヴァロットンの描く水はその淀み・濁り方のほうが目にとまる(草木のモコモコした描き方との調和・不調和も)。水だけでなく陽光もたまにゼラチン質ぽいモノになりかかってたりする。
Félix Vallotton