//=time() ?>
モランディの風景画がその静物画と異なる一つの点は(どんなに弛く溶解しきった筆致でもマッシブかつ平坦な形態を保つところまでは同じなのだが)ところどころにアホ毛のようなヘニャモラな草が生えているところかもしれない。この草は無意識的な身体性なのか、精神性の残余なのか。
Giorgio Morandi
個人の快感原則だけで描いているようにもみえないし、様式的な新展開を目論んでいるようにもみえないのに、無駄に多産。いったいこの人、何に(誰に)向けて作ってたんだろうか。ともあれ、エキゾチックな形象のキッチュ化、ある種の脱神秘化という側面があるにはあるかもしれない。
ガストンは、以前の抽象表現主義的な画風を捨ててこうしたマンガ的かつ「具象」的な画風に展開することで、(それまではできなかった)何を為し得ると考えたのか。後世からみれば連続(一貫)性があるというのは確かにそうなのだが、それだと変化の只中で賭けられたものを見落としてしまうことになる。
@ishitakuma そう、カンディンスキーですら本物みて一番感動したのは抽象以前のフォービスム的ですらない、印象派様式のヤツだから(笑)。自然主義者ではないはずなのに、我ながら感受性が保守的だなと反省もする。実際、様式史的な展開、進歩史観にあまり興味ないしね。
Wassily Kandinsky
@ishitakuma ジョセフ・ステラ、プレシジョニストの割に、一人だけ妙にサイケだよね(非ぬもの見てそう)。僕も前から気になってます。
そこに静謐だが決して停止ではない時間経過を感じるなら、これもある種の映画と呼んで差し支えないはずだ。コンポジションやデフォルメとして見たら凡庸。絵画や彫刻の「実際は止まっているが動き出しそう」という感覚とは違う、視線や手の身振りの抽出による、映画的な運動の組織化。
Ghérasim Luca
ムッソリーニに影響を与えもしたイタリア・ファシズムのイデオローグの一人ユリウス・エヴォラ。彼は他方で、未来派やダダイズムに感化されてモダン?な抽象画を描いてもいる。その神秘主義的な優生思想と、こうした画業を繋いで論じている研究があるなら、誰か日本でも紹介してほしい。
Julius Evola
イタリア未来派第二世代のプランポリーニ。「航空絵画(Aeropittura)」を標榜した者が、なぜ、空の表象や飛行機のスピード感よりも、カサブタのように剥離した大地の肌理を描くことに拘泥するようになったのか。地表も山脈も、空中からのほうがかえってよく見えたから?
Enrico Prampolini
ホッパーの形態感が(徐々におおらか且つ不穏になりつつも)一貫していると言えるのは、その陰影にリテラルな黒が残るような独特なヴォリュームの捉え方だけでなく、「地」に当たる空や海の一定の距離が保たれたその平板さ、つまり空気の通り方や抜け方にあるような気がする。