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【博物館展示情報】中村西渓筆の六曲一双「楼閣山水図屏風」は、右隻を6月2日まで、左隻を6月3日~15日までの公開になります。中村西渓は敦賀出身の絵師で、14歳で上京し、円山四条派に絵を学びました。
「大谷吉継ー人とことば」は24日、盛況のうちに終了しました。期間中ご観覧いただいた皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。吉継カフェはじめ、今後も吉継イベントは続きます。なお、26日・27日は展示替えのため休館です。
ギャラリートーク終了しました。ご来聴の皆様ありがとうございました。朝市、綱引きとイベントが重なったこともあり、多数お出でいただきました。展示資料との距離感ということではご不便をおかけしたかもしれませんが、ご満足いただけましたか?
おはようございます。昨日NHKさんより頂いた記念品の真田丸のメモ帳を、NHK大河ドラマ「真田丸」を見た感想を書いてもらう!用に山車会館に設置しました。是非、ご来館の際には書き残していってくださいね☆
「大谷吉継ー人とことば」その9。『常山紀談』。「世の人、石田殿をば無礼なりとて、末々に至りても良からず言いあへり」「石田殿は智有りて勇足らざるかと存じ候」。佐和山で三成に苦言を呈する場面。友情伝説はこの書あたりから定着したか。
「大谷吉継ー人とことば」その8。『慶長軍記』。「一度石田ト申合テ此節貴命ニ随候ハ、裏切ノ悪名ヲ天下ヘ取テ、侍ノ風上ニ置レマジケレハ、命ナカラヘテ何カセン」。家康の意をうけ離反を促した脇坂安治への返答。脇坂は汗をかいて退出したという。
「大谷吉継ー人とことば」その7。『落穂集』。「上杉家来の直江などへさへ申談せらる儀を今日までも我等へ内談いたされざる段、満足とは存ぜず」。挙兵がすでに直江兼続との共同謀議であることを三成が語った折のことば。それでも吉継はともに起つ。
【木の芽一日れきし学校より お知らせ】
明日の〝木の芽一日れきし学校〟は予定通り開催します。午後の古道ウォークは天候によっては縮小版(新保陣屋見学)とさせていただきます。