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これが存在するんだから別に「ごんぎつねⅡ」「火垂るの墓Ⅱ」あっていいよな。
「キャラクターの手先を目立たせるモチーフ」としてはストⅡの春麗の謎のトゲ腕輪があると思う。んで今気づいたが「ろぼっ子ビートン」が同じことをやっている。というかおそらく鉄人28号からこの伝統は続いている。あるいは同世代の無意識の手癖の中に眠っていたのかもしれないと想像すると楽しい。
(覆面の意味がないどころかむしろ識別に役立っている)
最近の「ヴィンランド・サガ」に注目している。安保闘争とカムイ伝のように、非武装非暴力という作品の根本的テーマが、時代の変化の中で問われる時期が来ているように思う。2022年の今それらをどう語るか、どう総括するか。陳腐化しつつ終わるのか、あるいは逆に永遠の傑作を目撃するのかもしれない。
「なにかおそろしくおかしなことになっているのだがもうどうでもいい」ジャンルというとこれである。三波春夫のルパン音頭。非常に不可解だが、そうしたギャップの面白さを出すというのはまだ理解できる。で、ついでに声の出演でエジプト警察の署長になる。三波春夫が。なんでそんなことになるんだ。
「やめてくださいよ」
「すまない、君たちの友達だったブタゴリラはもういないんだ」
(井伊直弼についての誤解) ①変形しない ②合体しない ③言い直さない
みやわき心太郎、太田じろう…ここらへんを見ているとマンガというものについて考えさせられるのである。腰が抜けるほど絵のうまい描き手というのがいる。そしてそれは、あるレベルを超えるとむしろ自身をあまり幸せにしないのではないかと思うのだ。美人すぎてモテない人というのが存在するように。
(爽やかな殺意)