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(仮面ライダーV3に登場しそうなおやつ選手権) 「いかみりん」 「チーズ鱈」 「チョコバット」
よくこの状態で戦っていられるよな。もはや気力と仲間との友情パワーだけで支えているんだろうな。
昔「まんが水戸黄門」というのがあって、格さんが「力だすき」というので謎パワーアップをするのだ。ただの布で体を縛るだけでなぜパワーアップするのかと思っていたが、今思うとあれは江戸時代のヤバい人だったのではなかろうか。
昔「翔丸」という大変素晴らしいマンガがあったのだが、今見返すとこれはメンタリストのDaigoである。その理想形だ。当時はマンガだったことがネットの時代で実現可能となり、実際やったらどうなるかを含めて見せてくれているのだ。我々のどこかには翔丸になってみたいという気分が常にあるのだろう。
昔PS3が買えない時期に「物売るってレベルじゃねえぞ」と憤るおっさんがいたのである。最近どうしてるだろうかと思って画像検索したら、これが何バージョンもイラストになっている。歴史に名を刻んだ感じである。よかったなおっさん。
(傍迷惑)
「メカゴジラの逆襲」のチタノザウルスも「あれいらんなあ」だった気がする。新作に何か目玉要素を足さないわけには行かず、造形も悪くないのだが、徒党を組んで出てくるとVSモノとしての焦点がボケる感があった。せめて三つ巴のバトルとかになってればと思うけど50年近い昔の話だし。
大友克洋は「劇画を殺した男」だと思っているが、同時に「アニメ絵を殺した男」でもあったと思う。あのAKIRAがアニメ化されると聞き、皆が想像していた華麗で饒舌な「アニメ絵」と全く違う、必要十分、ミニマルに削ぎ落としたような絵を出してきたのだ。今やこのテイストこそが主流であるように思う。
竈門炭治郎と金田正太郎の類似を感じるのである。要するに日本が再び貧しくなり、不良をもてはやす余裕もなくなって、昔ながらの少年主人公の類型に立ち返ったのだと思う。かつての科学にかわって伝統、というよりむしろ呪術の後ろ盾を備えて。
この絵はデタラメもいいところである。だが残ったのはその当時や今日の小賢しい知見でなく、あくまでこの絵の方だということを忘れるべきではない。「惑星大戦争」や「さよならジュピター」の音楽も、「なんだ結局コレかあ」と思うのは我々だけで、後世伝説となって賛美されることだろう。