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(アホなサメ映画ばっかり撮っているアサイラムさんへ…聞こえますか…今あなたの脳内に直接語りかけています…いいですか…次のサメ映画は、サメを緑と黒の市松模様に塗るのです…理由なんかどうでもいいんです…アホな日本人がきっとゲラゲラ笑いながら買うのでめっちゃ売れますよ…)
実物大型紙。テープ尺。今だとどちらも「うわーめんどくせー!」としか思えないのだが、当時は「やったぜ! 実物大型紙だ! へっへっへ」「テープ尺とはわかってるじゃねえか グヒヒヒ」とか主婦は思ったのだろうか。そんな北斗の拳のザコみたいな主婦はいねえ。
どれも今見れば非常に奇妙であり、しかし当時の人々の心をつかんだイメージでもある。つまり我々も常に同種の奇妙さを抽出しては、持て囃したり心の励みにしているに違いない。いつの時代も人間は、色眼鏡を通してしか世界を見ることはできず、自覚されないそれは滑稽であり、かつ尊いのだ。
この「目の奥まった風にしたい感じ」をよく覚えているのである。「みんな漠然とマンガ絵描いてるけど本当は顔って立体なんだぜ、オレわかってんだ」という気分のあらわれなのだろう。「そんなの普通に描いてますが?」という大友克洋の時代が地味に消していった空気だと思う。
「ふふふ…踊らされてるとも知らずに…しかしこれ吹くのやめたらこいつ逃げるよな…どうしよう」
(歳末まめちしき) サンタクロースが今のように赤と白のカラーリングになったのは、ゲッターロボの影響を受けたため。
「天空の城ラピュタ」の「たくさんの灯が懐かしいのは、あのどれか一つに君がいるから」という歌詞で思い浮かんだのは他でもない、この合成着色のスチールの灯である。サンテグジュペリが実際見た灯とは違い、宮崎駿のそれはこの世のどこにも灯ってはおらず、誰もいない灯なのだ。それが直感できた。
「餡シャーリー」
マンガの人気はアイディアやキャラクターだと言われるのである。でもそれだと説明できない差異があって、「流行」で括ると一般化ができない。ふと「態度」ではないかと思った。キャラクターの示す、大筋は常に変わらずとも時代によって微妙に変化する物事への「態度」が人気に繋がるのではないか。
「うむ。シャアのリアクションが面白い! もっとヘンテコなモビルスーツを送れ! 手がビヨーンと伸びて足がついてないやつとか」