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(闇金ウシジマくんが連載再開したけど無理やり生き返らせたウシジマくんがスターウォーズみたいになっている)
成田亨のデザインには、動物の骨格を細かく観察してるときのような新鮮な驚きがある。「このラインはこうつながるのか」「この張り出しにはこんな意味があるのか」という。手癖で描いちゃう世界の真逆である。いつまでもこの世界を忘れないでいたい。
YOUTUBEとかまだ世の中にない、それどころかビデオでさえ見たい映像が満足に見られない時代、オタクが集まると年嵩の誰かがアニメや特撮について語ってくれるわけよ。焚き火の周りに集まった若衆と部族の語り部みたいなノリで。絶対に実物より面白かったと思う。特にマイティジャックとかな。
安彦良和の「クラッシャージョウ」という映画は、作画が凄いのだがあんま人気がなかった。甘ったるくて爽快感に欠けるから。あれ、最後にマチュアが死なず、宇宙軍のカッコいい恋人とか出てきてジョウが盛大に振られ、ギャグっぽく大泣きしたら面白くなったんじゃないか。「ラシャーヌ!」のアレだ。
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人気が高かったのか、ノーマン・ロックウェルはこの種の絵を何枚も描いている。空想に囚われた子供の姿である。一つの人間の真の姿であり、空想が信仰の一種であることがよくわかる。そしてロックウェルはそれを美しい作品に昇華できた。ここまでやってオタクの本懐という気がする。
「背後になにか、過去の悲劇的な、深刻な、重大な、熱いものが隠されており、それを忘れてはならない」自分の好きだったアニメやマンガや特撮には手を変え品を変えこうした傾向があって、今思えば要するに戦後である。その空気の中で育ち、それが意味をなくした75年後もこうして引きずっている。
最近気がついて慄然としたのだが、皆環境問題を逆の意味で甘く捉えているのではないか。この絵を見てほしい。太陽に心臓を捧げているのである。そうしないと太陽が止まっちゃうから。何をバカな、と思ってから三歩ほど下がって考えて欲しい。オレの言ってる意味がわかってもらえるだろうか。
これはそろそろ覚えておいたほうがいいと思うのだが、日本の新興宗教が警戒心を解くため、あえて笑いを取りに来るように、これからの倫理的脆弱性への攻撃は、「あえて苛立たせる」方向から来るだろう。挑発し、反撃を誘っているのであり、その狭量や不寛容を新たな脆弱性とするのだ。
んで、オーウェンおじさんの側も話がふくらんで「帝国軍ごときに好きにはさせぬ! は、早く逃げるんだ!」みたいなビジュアルができあがってる。結構強いんだなおじさん。