元は北条高時に仕えた御家人であり、その頃の名前は奇しくも生涯の盟友と同じく「高氏」
高時から一字賜ったものと見られ、高時が出家するとそれに倣って出家して「道誉」の法名を名乗ります
倒幕時の動向は不明。『太平記』では尊氏を焚き付けたとも書かれますが信憑性は皆無

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結城宗広は死に際に起き上がり「我が墓前に朝敵の首を供えよ!!」と叫び絶命なされた

『太平記』に記された宗広の最期だが『平家物語』で稀代の悪人とされる平清盛の最期から丸パクリしている。有名作からパクってまで宗広を地獄に堕としたい太平記筆者は本当になんなんだよ……

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メキシカン太平記、武士がマフィアになっただけでだいたいこんな感じだろ。

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このバイタリティ、正に「顕家が成長したらこうなる」を体現したかのよう
顕家の死は『神皇正統記』で「忠孝の道ここに窮まる」「心憂き世」と嘆き悲しんでいる
大河『太平記』で顕家死後、人前では気丈に振る舞うも一人になると化粧が流れるほどに号泣する場面は名シーン

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『太平記』では鎌倉滅亡後に高時から諏訪家を通して時行に渡され、中先代の乱の後に時行の偽装死体が手にした鬼丸を義貞が手に入れた…とありますが、別の話では鎌倉滅亡時に義貞が既に手に入れてたとか、後醍醐天皇に渡されさらに結城宗広に下賜されたとか所有者がバラバラ
 

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元は試し斬りで髭まで斬ったことから「髭切」の名前だった
頼光四天王の渡辺綱に貸し出され、一条戻り橋の鬼(茨木童子とは別の鬼とされる)の腕を斬り落としたことで「鬼切」へと改名
『太平記』では頼光の父・満仲が戸隠の鬼を斬ったことが由来とされ説話によって異なる

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『太平記』によると第5代執権北条時頼が夢に出る小鬼にうなされていると刀の化身を名乗る老人が現れ刀の手入れを要求
時頼がそれに応じ、刀を抜き身のまま枕元に立て掛けると刀は倒れ火鉢の足を切り落とす
その足は鬼の首であり、以降悪夢は醒め、刀は「鬼丸」と名付けられた
 

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【Tips】鬼切安綱
源氏重代太刀であり、現在では「重要文化財」に指定され北野天満宮に所蔵されている
『太平記』によると坂上田村麻呂が鈴鹿御前との戦いに使用して、その後伊勢神宮に奉納
さらにその後に伊勢神宮に参拝した源頼光が、夢のお告げに従い受け取ったという
 

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「鬼丸」は北条得宗家のものでしたが、鎌倉滅亡時に義貞が奪ったとされるも『太平記』では諏訪家を通じて時行に渡され、中先代の乱終結後に時行の偽装死体から義貞に渡ったと書かれ差異がある
別の記録では後醍醐天皇のものになり、1336年に結城宗広に下賜されるなどバラバラ
 

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少なくとも『太平記』は新田を足利と同格のライバル(もといかませ犬)にしようとしている節がありますが、実際の新田は足利と同じ源氏の出身ながらその庶流であり格下なのは明らかです
格付けの歴史はそれこそ古くは源頼朝の時代まで遡りますしね
https://t.co/bkMBcqUt0v

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『太平記』は何かにつけて足利に対する対抗馬として新田を持ち出しては、扱き下ろしているのですが、この描写も義貞を「無教養の脳筋」とされた木曽義仲に紐付けていった印象操作の一環でしょう
バカ殿「印象操作?難しい言葉を使うな!」
アッハイ

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『太平記』はその最期を「撤退の意見を却下して戦いを選び、結果田んぼに足を取られて落馬した瞬間に眉間に矢を受けそのまま首を太刀で掻っ切って自害したが、大将としてどうなの」と酷評
その前に、この最期の描写『平家物語』での木曽義仲の最期のモロパクリなんですが……

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息子の最期を聞いて超高速で目元をスッとして一瞬でも涙を見せない親房卿、恐らく大河ドラマ『太平記』で顕家が死んだ後も冷静沈着に振る舞いながら、一人になった瞬間におしろいが流れるレベルに号泣した近藤正臣演じる親房卿の名場面のオマージュ

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『太平記』は年齢関係の間違いが多いので鵜呑みにはできないものの、時行をはじめ少年武将がこの時代に多いのもまた事実
その時行とは1337年からの北畠顕家軍で一緒となり、以降時行の3度目の鎌倉奪還や武蔵野合戦でも共に戦っている
そこに親の仇云々の因縁は感じられません
 

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元服名は後醍醐帝命名で「誠に武勇優れたる者。尤も義貞が家を“興”すべき人なり」という由来
『太平記』によるとこれは1338年の青野原の戦い後に吉野で謁見した際の話とのことですが、義興の生年は1331年
これが本当なら僅か7歳にして戦で活躍したことになります
 

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【Tips】神仏を畏れぬ男
師直が『太平記』において神仏を畏れぬ男として悪し様に描かれるのは、実際に石清水八幡宮・吉野行宮・金峯山寺蔵王堂などの聖域を焼き払ったからでしょう
ただ、今回描かれたように実際は神仏に感謝を捧げる歌を詠むなど矛盾がある
 

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残る③ですが戦後のレントゲン撮影によるとこの紋は江戸時代の補修時に付け加えられたものとされ、高家の誰かという説を揺るがします
また肖像画の輪違紋は「七宝」(左)で江戸時代の高一族(高階氏)のものとされ『太平記』には高一族は「寄懸輪違」(右)の家紋だったとあります
 

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がトレンドに
ってことで過去に描いたイラストだよ
逃げ若の影響でそろそろ太平記で何か描きたいのん

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どちらにせよ生まれた時から大人達の都合に振り回され続けている辺り悲運の長男でしょう
まして最期が信頼して預けられた叔父がとんだ悪鬼外道で、目先の褒賞目当てで秒で売られたとあれば猶更
『太平記』は連行される幼い邦時の姿を見て涙を流さない者はなかったと伝えている

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『太平記』では「あととり」とされていますが、母親があまり身分が高くなく、邦時が生まれた際に高時の母である覚海尼も顔を見せなかったことを考えると歓迎されてない庶子でそれはないんじゃないかとも言われている
一方で当時の書状ではハッキリ「嫡子」の記述もある

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