//=time() ?>
おめでとう第4位🎉🎉🎉
小田原城がいいなと思うのは、城主の北条氏に対する愛があふれているところ。お城の中の展示からも北条氏の徳政をたくさんの人に知ってほしいという熱量が伝わってくる。そして豊臣秀吉との合戦に備えて城と城下を9kmにも渡って囲った総構の壮大さ!
#小田原城
宴のとき、黒田くんと竹中くんの手を掴んで輪の中に引っ張っていく秀吉くん、嫌がってる二人、すごくぽいなぁ〜…とにこにこしちゃいます☺️
そして殆ど踊ってない竹中くん黒田くん…😌言い合いしてる二人と挟まれる秀吉くんも愛おしい
豊臣主従のやりとりみれてハッピ〜でした🌸
#新信長公記
お勉強配信にご来店頂きましてありがとうございました~🎶
今後もご一緒にお勉強して頂ければ幸いです🏪✨
今回は「豊臣きりたん」さんのお名前を書かせて頂きました‼
ありがとうございました🎶 https://t.co/DzzzYkRUsd
@Tokugawaieyath ヤス!田兵サン!
豊臣秀次サンの家老だったヒトだヤス。
関ケ原の戦いの本戦にも参加、その後の佐和山城攻めや三成サンの捜索を担当したヤス。
三成サンとは仲良しで、お腹壊した三成サンにニラがゆ作ってあげたヤスね。
確かに、肖像画は不明瞭だヤス…
1806年・文化3年9月20日・命日(新暦・10月31日)
◆喜多川歌麿 <数え54歳>◆
〈1753年~〉
1775年の『四十八手恋所訳』下巻の表紙絵が浮世絵師スタート。1804年に豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした作品で手鎖50日の処分を受け、これを境に歌麿の筆は急速に衰えを見せ、2年後の06年にこの世を去った。
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
蛇の目紋といえば加藤清正の紋として名高いが、豊臣秀吉の家臣に“蛇の目紋の加藤さん”は三人いる
加藤嘉明と加藤光泰も同じ蛇の目紋
蛇の目紋は弓の弦の予備を巻いた弦巻から来る尚武紋で、蛇の目に通じ邪気を祓う信仰紋の側面を持ち、加藤清正の専売特許ではない