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京都市 仁和寺

光孝天皇の勅願に始まり、宇多天皇によって仁和4年(888)に創建された寺院で、現在は真言宗御室派の総本山

江戸時代に再建された五重塔などの建造物が境内に並び、御室桜は4月中旬に見頃を迎えます

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11月7日はいい女の日でしたね。

藤原宇合の娘三姉妹
左:長女。藤原巨勢麻呂(武智麻呂の子)の妻。弓主の母。 
真ん中:三女。異母兄の蔵下麻呂の妻(異説あり)。綱継の母。吉野の祖母。
右:次女。藤原魚名(房前の子)の妻。鷹取、鷲取、末茂らの母。光孝天皇と藤原基経の高祖母。

→リプ

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大雪の中、道を急ぐお嬢さん。黒御高祖頭巾に蛇の目傘、雨雪用の高下駄。雪華模様のコートがポップで目を惹きます。古河藩主・土井利位(どい としつら)が天保3年(1832)に著した「雪華図説」を発端に、庶民の間で流行しました。
歌川国貞 『百人一首絵抄 十五 光孝天皇』ヨリ

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ミスったので上げ直します。
今年は色々切りました。
来年も沢山切りたいです☺️✨

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『ひゃくにゃんいっしゅ』十五、光孝天皇(こうこうてんのう)

第58代天皇。この歌は天皇になる前の時代に詠まれたもの。元々天皇になる予定はなかったらしく、政治は藤原基経に委任していた

当時の春は1月。君が誰なのかは不明、将来の天皇がお供一人のみ連れて、野山で自ら七草を集めている時の歌

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天皇が手ずから若菜を摘みに行くって…この光孝天皇、めちゃめちゃ良い人じゃないか!?
お供の人が教えてあげたのかなー、
「あ、それは食べられない草で…そうそう、その隣の草なら摘んで大丈夫でございます!」
とかって。情景を想像すると微笑ましい。

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京都嵯峨野の二尊院境内には平安時代に光孝天皇の勅命により藤原山蔭が料理作法の新式を定めたことに由来した日本料理の流派となる四条流庖丁道の四條流包丁塚がある。流派の始祖である山蔭は自身の氏神として建立した吉田神社の末社である山蔭神社に庖丁の神、料理・飲食の祖神として祀られる。

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<我が衣手に>
1/7 七草粥に寄せ
「小倉山百人一首」(江戸前期写)から光孝天皇を。
君がため春の野にいでて若菜つむ
我が衣手に雪は降りつつ
舞台は嵯峨の芹川野。光孝天皇は行幸で鷹狩りをして詠んだそうです。帝の周辺が雪っぽい水玉なのはたぶん変色...あ、雪です、雪❄(うそ)(MT)

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君がため春の野に出でて若菜摘む
わが衣手に雪は降りつつ
光孝天皇

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君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ/光孝天皇

      

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