1340年の「大徳王寺城の戦い」は、宗良親王を立てて籠城した時行・諏訪連合軍との腐れ縁の総決算たる戦い
小競り合いでは数十回もの敗北をしつつ、4カ月粘ったことで落城させて勝利したという
ただこの合戦「守矢文書」にしか記述がなく実際にあったか疑問視されてもいます

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【Tips】鳥の音も/なへて聞えぬ/山にしも/なれはなきける/時鳥かな
撰者宗良親王の准勅撰和歌集『親葉和歌集』撰入の一首
作中では宗良親王が詠っているが、実際は住吉大社の歌合で詠まれたよみ人知らずのもの
約1420首の中から時行に合う和歌を見つける松井先生のワザマエよ

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逃げ若武将名鑑【宗良親王】
後醍醐天皇の第四皇子
和歌が大好きでいついかなる時でも和歌を詠んでいた物腰柔らかな皇子
流浪の末に信濃は大鹿村の大河原城を拠点として挙兵するが、それはそれとして和歌は詠む
准勅撰和歌集『新葉和歌集』の撰者で和歌集『李花集』の著者

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【追記】
宗良親王を井伊谷に招き入れた将を「行直」としましたが「道政・高顕親子」とも言われているそうです
ただこの親子、江戸時代に井伊氏が呈譜した家系図に名前がなく架空の人物とも言われています
しかし井伊谷宮には祀られている
畜生!名前伏せた理由これかよ!!
  https://t.co/2swiFdtBUx

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宗良親王との信頼関係も篤く、今川・高師泰・仁木義長といった猛将の攻撃を受けて1337~40年までよく耐えたんですが、それでも香坂高宗の読み通り井伊谷は陥落
宗良親王は信濃に落ち延びますが、井伊家はそのまま今川家の下に降伏
井伊家の苦難はおんな城主直虎の代まで続く
 

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逃げ若武将名鑑【井伊行直】
状況的に考えて当時の井伊谷領主の行直と思われる
南朝の荘園を多数抱え、南朝支持の伊勢神宮と関わりが深いことに目を付けた後醍醐天皇が早い内から宗良親王を送りこんで抱き込んだ
遭難後の宗良親王も匿うが足利軍の猛攻には耐えられなかった
 

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各地で敗北を繰り返しながらも居城の大河原城は難攻不落を誇り関東管領の上杉氏をも退けた
宗良親王がこの地が「信濃宮」と呼ばれる程に逗留したのも頷ける
ところで居城のあった大鹿村にはアニメのEDにも描かれた「伝北条時行墓」がありますが、はてさて……
 

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大河原城主となる前は、中先代後の北条残党として戦った香坂心覚の軍にいた可能性が指摘されるも、心覚は望月氏傍流で祢津氏傍流の高宗とは派閥が違うため定かではない
少なくとも宗良親王を迎えた1343年以降は彼の下に従軍して武蔵野合戦等を転戦している
 

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逃げ若武将名鑑【香坂高宗】
祢津氏を祖とする滋野氏の一族の出身
南朝の忠臣で信濃は大鹿村に築き上げた大河原城に宗良親王を迎えて北朝軍から守り抜く
大河原城は宗良親王にとっての第二の故郷となりこの地で崩御したとも言う。守護の役割を果たした高宗もこの地で亡くなる
 

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發個之前畫的宗良
第二張有借鏡call me by your name

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素敵なタグをありがとうございます!
南北朝時代をメインになんぼくちょーずと名付けて絵を描いたり自己満小説を書いたりしてます
護良親王と宗良親王兄弟を特に推してます🙌

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「拳と刃」
淺野嵐(あさの らん)と柳生羅生門平宗良(やぎゅう らしょうもん たいら の むねなが)の別々の日常の伝説。
説明は以下。

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宗良親王(信濃宮)
東国の各各地を転戦しながらも、その戦陣の中で歌を詠み続けた流転の歌人親王。

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宗良新王、足利尊氏、新田義宗義興、饗庭命鶴丸。日本史にキラ星のごとく輝くビッグネーム & 20万騎がヤオコー所沢椿峰店周辺で激突する‼️ のですがまったくと言っていいほど知られてないですよね😅

花一揆と児玉党のうちわ【所沢市】 https://t.co/4KguIAsDBW

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歴史プレゼン略して「れきぷれ」を歴史を楽しむ会のYouTubeチャンネルでスタート💡
初回は明日5日18時から約15分🎥週1回配信したいです🍀混沌の世を照らす楽しい歴史プレゼンを✨
〈今回のプレゼンター〉
齊藤エヌビー
〈テーマ〉
宗良親王
https://t.co/8xHnlI7XN7

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ソーミン

名前の由来は、うちの子=宗良→そうら+ムー●ン= ソーミン
須賀宅の創作マスコットキャラクター

5か月前から居たけど色々怒られそうで怖くて裏垢に閉じ込めてた。
イメージCVは大塚明夫。
ジェット機より速く動ける。
目は死んでる。

カオスの塊

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