山科言経『京都は大小の通りが碁盤の目が如く入り組み複雑怪奇だが…明智方の先手大将の斎藤内蔵助なる者は見事な指揮で軍勢を本能寺まで導き、前右府殿は討ち果たされた

内蔵助の働きは“今度謀叛随一”である』

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「明智左馬之助の湖水渡り」は、江戸時代初期の軍記物『川角太閤記(かわすみたいこうき)』を始めとして、『甫庵(ほあん)太閤記』『惟任退治記(これとうたいじき)』などの書物によって伝えられ、浮世絵、日本画、絵葉書などの題材になりました。

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