Weekly Gallary of Kyosai's Art Works 臨時増刊149号  暁翠筆《新板 能狂言壽語録》の「狂言 神鳴」。東国に向かう藪医者に雲間から落ちた雷が痛めた腰の治療を命じ、その礼に天候の順調なること約束をする。落ちた雷と驚き平伏す藪医者を描く。

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Weekly Gallary of Kyosai's Art Works 臨時増刊146号  暁翠筆《新板 能狂言壽語録》の「狂言 末廣」。指示された買物の“末広“が扇と分からず都で詐欺師に騙されて傘を買い主人に追い出された太郎冠者。詐欺師に教えられた囃子で主人の機嫌が直る。

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Weekly Gallary of Kyosai's Art Works 臨時増刊140号  河鍋暁翠筆の版画双六絵《新板 能狂言壽語録》の「釣狐」。昨日紹介の暁斎筆「釣狐」と同じ場面が描かれているが、伯蔵主と猟師の配置が逆で、伯蔵主の裾に出てしまった尾を描く違いもある。

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Weekly Gallary of Kyosai's Art Works No.225    書画寄書帖《雲煙過眼》にある暁斎の娘「暁翠」の作品。江戸玩具の“とんだりはねたり”で遊ぶ官女を描いた「官女遊戯図」。落款中の“暁辰”は暁翠の最初の号。明治14年、即ち暁翠14歳の時の作と推定。

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河鍋暁翠「毘沙門天虎狩之図」(1889)
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河鍋暁斎(1831-1889)の娘としても知られる暁翠作の浮世絵。虎と鍾馗を描いた暁斎の作品「十二ヶ月之内五月」の趣向を下敷きに、商売繁盛や勝負事の神である毘沙門天とその使いである虎を描いたもの。

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Weekly Gallary of Kyosai's Art Works No. 135 能の「橋弁慶」及び「羽衣」は御大典祝賀能(大正4年12月7、8日)の最終日の曲目。#河鍋暁翠 筆の口絵として『御即位禮畫報』第10巻に掲載。「橋弁慶」は金剛、「羽衣」は喜多の各流が担った。祝賀能の曲は半能や短縮した内容で演じられた。#河鍋暁斎

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Weekly Gallary of Kyosai's Art Works No. 135 能の「橋弁慶」及び「羽衣」は御大典祝賀能(大正4年12月7、8日)の最終日の曲目。#河鍋暁翠 筆の口絵として『御即位禮畫報』第10巻に掲載。「橋弁慶」は金剛、「羽衣」は喜多の各流が担った。祝賀能の曲は半能や短縮した内容で演じられた。#河鍋暁斎

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Weekly Gallary of Kyosai's Art Works No. 134  御大典祝賀能(大正4年12月7、8日)の初日の曲目は「翁」の外に能の「高砂」と「石橋」。『御即位禮畫報』第9巻では、#河鍋暁翠 筆の後者二曲が口絵として掲載。祝賀能では「翁」は観世、「高砂」は金春、「石橋」は宝生の各流が担った。#河鍋暁斎

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先日 を受賞された澤田瞳子さん。「目の眼」'21年4月号には、エッセイを寄せていただきました
受賞作『星落ちて、なお』執筆下で、調べれば調べるほど面白さに魅せられたという主人公 河鍋暁翠の父・暁斎の人物関係や、明治・大正期の美術界について。ぜひご覧下さい。https://t.co/G8FFW1Nay7

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Weekly Gallary of Kyosai's Art Works 臨時増刊66号  暁翠筆の肉筆画《節分図》。まず目が行くのが画面下の鬼。睨みのきいた面構え、笠で豆から体を防御する躍動感、髪や虎皮の下履きの細密描写、顔面や四肢に贅沢に使う代赭と的確な暈し等、画技を駆使した描き込みは将に主役の扱い。

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『星落ちて、なお』面白かったです!河鍋暁斎の娘・とよ(暁翠)のお話。絵を描くことを通じて父や兄との関係性に苦悩する姿が多く描写されてるけど、私はかっこいい女性だな〜と思いました。

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暁翠は暁斎の門人で、その長女にあたります。父に「柿に鳩の図」の手本を与えられ日本画 の手ほどきを受け始めた暁翠は、この手本を生涯大事にしていたといいます。

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ー本日掲載ー

暁翠「大和錦絵 揃(12 図)」

大和美人の様々な姿が描かれた「大和錦絵」の揃い作品。

作品の詳細はこちらから。
https://t.co/R10mffCHSo

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30代半ばの暁斎は信州を旅し天照大神が身を隠した洞窟があったという戸隠山に登る。九頭竜伝説でも知らせる峰ごとの社を訪ね素戔嗚尊の九頭龍退治図を描き上げた。嵐が吹きすさぶ中、松明を持って九頭竜を退治する素戔嗚尊の姿には神々に対する畏敬の念が表れている。暁斎×暁翠

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暁斎は万延元年(1860年)と明治14年(1881年)に を出版。その中から乳飲み子に怖がられないよう、必死に笑いを取ろうとする仁王の姿を!仁王様もご苦労があったようだが、絵を学ぶものはユーモアも学べた?暁斎らしい教則本。暁斎×暁翠 

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閻魔大王は中央に座し奪衣婆に衣を剥がされた亡者に審判を下す。責め苦を受けながらもお地蔵様に救われるという物語を墨の濃淡を中心に赤を利かせて描く。見た者が驚くのはこの地獄極楽図の大きさ。ひ孫の河鍋楠美館長が見上げたところを特別公開!絵はがきもあり。暁斎×暁翠#高崎市タワー美術館

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は伝説上の生き物で赤頭の猩々が歌舞音曲、指相撲などの娯楽を楽しむ様子を描いた暁翠の力作。ここかしこで大きな盃を飲み干し、どうやら酒に浮かれている様子。暁翠は得意の透明感あふれる色使いで遠近感を出しながら百を超える猩々の様子を表現豊かに描いた。暁斎×暁翠

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は1855年安政江戸大地震の翌日に仮名垣魯文が文章を考え暁斎が絵を付けて発行。鯰絵大流行の先駆けとなった作品。鯰が地震を知らせるという「都市伝説」を背景か、地震発生後には数千枚売れたという。24歳の暁斎、苦難の時代の転機となる出来事だった。暁斎×暁翠#高崎市タワー美術館

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の歴史は古く室町時代、鳥羽僧正時代の絵仏師定智の勝絵絵巻にも登場。江戸時代末期にもブームがあった。放屁の臭いや勢いで戦いを挑み、放屁に勢いをつけるため元となるサツマイモなどを体に補給。命に別状なく戦えるいい戦い方。現代に蘇らせたい?戦法。暁斎×暁翠

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一人娘、吉(河鍋楠美館長の母)の母でもあった暁翠の子どもへの観察眼は鋭く、描写も卓越した技術を示す。左手の赤子の笑顔と活き活きとした描写は女流絵師ならではのもの。#五節句之内 花月(3月の意味) は の様子。床のエキゾチックな柄につい目が行く。暁斎×暁翠

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