天平応真仁正皇太后こと聖武天皇の皇后、光明皇后(藤原光明子)が崩御。元のイメージでは、大変な時期の聖武天皇を支えた慈愛に満ちた皇后でしたが、最近では走り出した聖武天皇のアクセルをギャンギャンにした人みたいなイメージになっています。あと強火の父不比等推し。

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先日の歴史探偵で橘氏の勢力圏として井手町が出てきましたが、まさにそこにあったとされる橘諸兄の別業への聖武天皇の行幸です。奈良麻呂初出かな。まだかなり若いと思います。この辺り橘氏全盛期といえるかもしれませんね。ちなみにこの年に藤原広嗣の乱が勃発します。

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この後も長々しく続きますが、聖武天皇による陸奥国出金詔書です。この出金で不足してた大仏のための金が補えました。間に各氏族アゲアゲしてたりでテンション高いの感じます。この詔書を受けて大伴家持がこれまた長い「賀陸奥国出金詔書歌」を詠みました。

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あまり間の記事を上げてませんが、藤原広嗣の乱が続いている中、聖武天皇が動き出しました。この東国行幸は多分前からある程度決まってたことなんだと思うんですが、とりあえずこの勅に関しては「言い方~!!」という感想。

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この頃聖武天皇が病で不予となっており、それによるものと思われます。
しかしここからの三年間の間に越中守となった大伴家持がどうも鷹狩を楽しんでいる節があり…

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お話が長いのですが(天平宝字辺りは本当に前置きが長い)、聖武天皇に「勝宝感神聖武皇帝」・「天璽国押開豊桜彦尊」の諡号が贈られました。
この辺りの天皇の漢風諡号って淡海三船が一括撰進したとされていますがここに「聖武」の文字があるように、それ以前に贈られたらしきものもいくつかあります。

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聖武天皇と言えばこの「天王貴平知百年」の🐢。
意味は「天皇の政治は貴く平和で、百年も続くであろう」。
この後この亀がきっかけで元号の「天平」が爆誕します。

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四月一日は聖武天皇による陸奥国出金詔書(続日本紀では最長の宣命)の日ですね!
海行かばの出典は家持より先にこっちですよ!!
そして金や大仏云々よりも大伴氏ウェイなところにウェイウェイしてるのが大伴家持の陸奥国出金詔書を賀く歌ですよ!!

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世界の子どもたちに愛を...今ここに誓うニャ❗️(by聖武天皇&光明皇后)

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正一位まで昇った人の薨伝とは思えない短さですが、聖武天皇存命中だったらもう少し違ったかなという気もします。なんだかんだで聖武を一番支えた人よ…この人が居なかったら聖武もあんなに突っ走ってないでしょう。
(若い絵で再掲)

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玄昉による聖武天皇生母の藤原宮子の看病で快復、親子対面が叶うという記事ですが、真備が中宮亮だったからなのか、玄昉が先に中宮の宮子を看たのか気になるのですが、どちらにしろこの二人にやはり渡唐以来の繋がりがあったということでしょうね。

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🐱「奈良の大仏様❗️お顔が新しくなってピッカピカ✨」

今日はいい色
奈良時代に聖武天皇の命令により着工された の大仏。戦国時代の戦火で損傷し、江戸時代に漸く再建されましたが、以前の風貌とは見事に変わってしまいました。私たちが知る は、江戸の顔なのです。

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ちょっと忘れてたけど天平十二年では藤原広嗣の乱が続いてるわけですが、ここにきて(印象としては)突然の聖武の東国行幸が始まります。いわゆる彷徨五年のスタート。多分前から準備してたし大事だったんだろうねとは思うけど、この勅があるのが逆に面白い。
さすがわれらが聖武天皇。

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日本鰹鮪漁業協同組合連合会が
1986(昭和61)年に制定
神亀3年旧暦9月15日(新暦726年10月10日)
山部赤人が聖武天皇の御供をして
明石地方を旅した時
鮪漁で栄えるこの地方を
しび(鮪)釣ると海人船散動き
『万葉集』巻六・938段と歌に詠んだとされている

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(滋賀県近江八幡市)

聖武天皇が陰陽道の祖💫吉備真備に命じて創建された神社⛩
境内は生命力に溢れ、活力が湧いてくる感じ🎶
日本最初の馬の国営牧場が営まれた馬の聖地に鎮座し、御猟野乃社と呼ばれています🐴
古式競馬の「足伏走馬」が執り行われる馬好きにはたまらない神社です
( ^ω^ )

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 岐阜市長良

創建 746年(天平18年)伝
山号 雄総山
宗派 高野山真言宗
本尊 十一面千手観音菩薩
開基 聖武天皇(頼願)伝・行基(開山)
札所 美濃三十三観音17番、美濃四国
88番、美濃七福神(布袋)
文化財 金銅獅子唐草文鉢(国宝)
数多くの指定文化財有
書置き拝受

pic 護国之寺

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聖武天皇、即位9年目にして初めて朝政。
どんどん育っていくぜ。

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