今年も残り1ヶ月となりました。
冬休みにはちと早いですが、諸事情も込みで年明けまで通常投稿はお休みいたします。
長らく紹介してきた『菅江真澄の道』の標柱も残り少なくなってきて来年中には完走できそうです。
よろしければ最後までお付き合いお願いいたします。

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【巨人・平之の妻】
藤里町藤琴


藤里には水無沼を一晩で作った『平之』という巨人の伝説がある。
真澄は享和2年(1802)に平之の妻だったという老婆と出会っている。90歳の老婆は若い頃に鰺ヶ沢からこの山里に来て身を固めた、と酒席で語った。《しげき山本》
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【携帯トイレ】


真澄の人柄が知れる面白い話がある。
親交のあった波宇志別神社神官・大友直枝は神社宛てに真澄を紹介する手紙を送っているが、『真澄翁は逗留先に迷惑をかけまいと箱入りの便器を持参している(意訳)。』と綴っている。
客人としての立場を解した翁の旅の心得である。

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【真澄と忠敬を結ぶ人物】
能代市上町

面識の無い二人だが間接的に関わった人物がいる。
天文学者・相沢文五郎治信は江戸を訪ねて忠敬や奉行・高橋作左衛門(忠敬の師)に師事、能代浦の海岸測量や彗星の記録を行った。後に能代滞在の真澄に同行したという(標柱より)。

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【盗っ人問答】
羽後町西馬音内

西馬音内の市で騒ぎを見た。
盗人が商品の鮭を袖に隠したのを女店主が見つけた。
「ドス、盗った物を出せ」
「知らねえ」
「言うな、ちゃんと見でたんだよ。ガァが盗んだんだ。お代の銭を出せ!」
「…はたらずともやるよ」
古い言葉での応酬であった。

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【明日より再開!】

長らくお休みを頂いておりましたが、ぼちぼち投稿を再開していこうと思います。
今年でTwitter始めて3年目に突入しますが、#菅江真澄の道 の標柱紹介も全体の半数以上は消化している感じです。
まだまだネタはたんまりあるので今年もお付き合いの程よろしくお願いいたします!

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【田植えの祝い】
八峰町峰浜大信田

昔、田植えの祝として新婚の夫婦にしきりに責めながら山盛りの飯を食べさせる風習があった。困惑していると酒を強か飲ませ酔った二人を野に寝かせて放置された。
今はこの風習は廃れ、行き交う人に泥苗を投げつけるのを祝うと言う。《おがらの滝》

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【長慶寺跡】
能代市上町

享和元年(1801)11月、長慶寺の由来を記録。
古くは比内の田代山の麓にあったが後に移転、
永禄7年(1546)、主命により家臣清水政吉が上町に創建した。《雪の道奥雪の出羽路》
昭和24年の能代大火で焼失、後に萩の台に移転。
現在は能代ふれあいプラザが建つ。

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【まど火】
大館市十二所周辺

享和3年(1803)春彼岸、老婆らが百万遍を唱え、囃して酔って賑やかだ。
始終には『まど火』といって墓地で子供らが藁で火を焚き、霊よばいの唄をうたう。《すすきの出湯》
場所と作法は違うが上小阿仁の万灯火の原型であろうか?

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【本荘で火事】
由利本荘市本荘

天明4年(1784)9月末、日が暮れてそろそろ宿を取ろうと思った矢先火災を目撃する。往来の騒ぎも激しく野次馬で道も塞がったので里の外れで宿を求めた。《秋田のかりね》
惨状の様子だがどこか傍観的というか、根なし草の旅人らしい一面が垣間見える。

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【鳥屋長秋旧宅跡】
秋田市大町5丁目

鳥屋長秋(とやのながき)は、晩年の菅江真澄と親交を持った人物であり、真澄の養子とする説もある。
川反(今の大町)に荒物屋を開業し、真澄が調合した薬『金花香油』は飛ぶように売れたという。
該当店舗に標板があったようだが、撤去されていた。

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【霹靂神(ハタタガミ)】
八峰町八森 他

「鰰」と漢字に書き、冬の到来を告げる雷鳴と共にハタハタはやって来る。佐竹氏の藩政時代よりハタハタ漁は拡大するが、安東氏の頃から鰰は年貢の対象だった。
主にブリコの部分を食すが某超神はブリコガンでホジナシを一掃する。

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ようやく秋田にも桜が咲いてきましたね。
ぼちぼち準備も整ったのでぶらりと探訪を始めることにしました。
まだ見ぬ秋田のいいとこをお伝えできればと思います。
どうぞよろしくお願いしますね。


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