旅人の薨去から六年後、同日日付で亡くなったのが藤原四子で嫡男の右大臣藤原武智麻呂。ここまでですでに四兄弟のうちの房前・麻呂が亡くなっており朝廷の対応もヤバみを感じさせます。旅人享年67だったけど、武智麻呂は60歳手前だしねえ…

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疫病流行の中で立て続けに亡くなっていた藤原四子の最後、三男宇合もついに薨去。四子全員亡くなりました。
間にお父さんも挟んでいて、房前以外みんなまとめて法要したら良さそうな勢いで集中してる。
今年も四人並び絵再掲。

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ちなみに、#藤原宇合 の長女

↓左端

(長幼の順は、角田文衞先生の『平安人物志』上、木本好信先生の『藤原四子』、大友裕二先生の博士論文を参考にしました)は、

いとこの巨勢麻呂に嫁いでいますが、#藤原冬嗣 の正妻美都子と藤原三守兄弟の父・真作や、上記永頼の先祖・貞嗣の母ではありません🧐

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毎年、なんで旅人と同じ日付の日に死ぬんだよ…!!みたいになっている天平九年の疫病流行中での藤原四子三番目薨去の武智麻呂。そこそこ旅人と位階などが拮抗してる時期があるので…
正一位と左大臣になった時意識あったんだろうか。
(絵は何度目かわからない再掲)

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藤原四子、天平九年の薨去二人目は末っ子麻呂です。
この方は万葉集にも懐風藻にもよいネタを遺してくれてるので長生きしていればもっと面白い人物になっていたかもしれないと思ってる。
ウチ設定で四子の中で一番父親似なのでお父さんと並べてみる。

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この政変の一番の被害者って元正太上天皇だと思うんですよね。未婚で子供もいない彼女にとって吉備内親王は唯一の妹でした。長屋王夫妻の死で彼女はこう思ったはず「藤原四子…私はお前たちを許さない…」と。彼女の悲痛な想いに応えるように藤原四子は737年に全滅しました。

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藤原四子を描いた勢いでこのお二方も描いた。
叔父にも関わらず甥である長屋王を糾問して死に追いやったことから、祟りかどうかは謎ですがこの兄弟たちは藤原四子が亡くなる2年前(735年)に没しています。

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RT あの俵藤太、#藤原秀郷 から、#鎌倉殿の13人 に登場する人々への繋がりがいっぱい😊

ちなみに藤原秀郷は、#藤原房前 の第五子・  の子孫であります🤗



↓(  の娘さんが生んだ子の子孫やないけど😅)

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房前は藤原四子の中で色々トップバッターなので目立つ存在ですよね
(過去絵・いつも伏目がち)

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RT 推しを描いていただく。うれしいですよね😊
(自分で描ければ、もっとよいのですが😅)

(当アカウントのイラストも、イラストレーターの先生に描いていただいています😌)

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現天皇家の直系先祖を辿ると、必ず武智麻呂・房前・宇合・麻呂のいずれかに行き着くのは胸熱です。

房前と宇合は言わずもがなですが、武智麻呂と麻呂もそうなのですね。

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天平九年の疫病により藤原四子も三人目の武智麻呂まで犠牲者が出ました。二十三日に右大臣の病のために大赦を行っています。
年が違うとかはいえ旅人と同じ忌日ってなかなかの因縁だな…と毎年思う。

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そして完成しましたー!!!!藤原四子!!!

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