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「同ジャンルで同週放映の内容が丸かぶり」の例。主人公駆るロボがライバルイケメンの輸送機に乗って敵ロボに追い詰められるが、一時離脱したヒロインが種子島に隠された敵方の超技術でつくられた宇宙船を起動して一発撃破する。そっくり同じ。
Vサインを右でやるか左でやるかも面白くて、エルエルフは最初ハルトに向かって「こうしてみせろ」と右で指示(4話冒頭)し、自発的なサイン出しになると左(4話クライマックス、8話)になる。その8話でハルトはあたりまえのように右で出すんだが…
それと「同じこと」を人工天体のスケールでやったのがこれだ。ダイソンスフィアは革命機ヴァルヴレイヴの物語のためにこそ機能する秀逸な舞台設定であって、これをまったく別の作品に移植したって、スペオペ感を充実させるくらいにしか役に立たない。
「違う!」 しかし、いや、ちゃうねん。勝ち誇ったカインの「禁句」でブチ切れたハルエルフの叫びを挟んでのこのピノの様子、並べてみるとわかるんですが、注視すべきにみえる「ピノ」でなく背景の「レイヴ」の方がヤバいことになっている。
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ヴァルヴレイヴは「世界を曝くシステム」なんだから、そりゃあ「内心を外に曝すシステム」と完全にイコールだ。それを体現するロボットなんだから、閉じ込められた暗い地下空間から飛び出して、光り輝く姿を周囲に目視させてみせるのはとうぜんだろう。
いやだってふたりはいつも「こう」だもの。可哀想と言われたそのままに「慕情を持たない公人」として生きると決めてる、己の血の宿命に従うアセイラムは、その枷のなかでの限界ぎりぎり精一杯の表現で、とあるひとりのことについて言葉にしてるのです。
で、最終回は3人みなが「鳥を見た日」を反芻するのだけど、19話に映像を重ねるとますます「”言ってること・やってること”と”内心”は違う」様子が浮かび上がる。「脚本ごとき」では表現できない心情が。
彼らはサブタイそのものかつ冒頭1話の対となる「流れ星」と化す。この定番的シチュエーションはオマージュが繰り返されるが、これぞ原典ブラッドベリの「万華鏡」。オーバーラップする双方のシーン、ここでスレインの同志皆が一斉に散華してるんだ。
「いろいろなものって?」 「未来です」 「未来…」 「良い事、悪い事すべて…見えるものはほんの少し先のことだけ」 「何でもわかるつもりでいました。多くの事はそのとおりだった」 「でも、本当に大切なものは何も見えていませんでした」