平野レミゼラブル@C105日曜東P54bさんのプロフィール画像

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最近は映画感想botと化している。
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夢窓疎石は尊氏のことを「誰にでも慈悲深く度量が広い」と称していますが、それは裏を返せば誰にでも良い顔をしてしまうという八方美人気質であったということ
政治を任せた直義も師直両者に良い兄・主君であろうと努めた結果、どっちつかずの征夷大将軍と化したとも言えます

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結果論から「何もしていない」と言われる側面もある
要は観応の擾乱の勃発を止められなかったことで、師直が御所巻の準備をしている時も、その後に直義が南朝に降伏するために行方をくらませても割と呑気して放置いている
政治に全く介入しないせいで反乱の火種をスルーしてる

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尊氏はゼークトの組織論で俗に言うところの「有能な怠け者」に回ったということであり、決して何もしていないわけではない
ただ『梅松論』の理論が自分のこと棚上げした言い訳にしか聞こえないのと、田楽狂いの逸話が目立つので「何もしていない」と言われてしまうだけで……

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ただ言い方こそ最低ですが考え方は正しい
尊氏は将軍に求められる役割が「恩賞を与えること」と正確に理解しており、その権限を手放さず郎党の信奉のバランスを保たせていました
尊氏がばら撒き、直義が内政を安定させ、高兄弟らが軍事を支えて足利政権は巧く回っていた

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『梅松論』には尊氏が政務を任せた直義に次のように忠告する逸話が残っています
「直義、お前は政治家なんだから重々しく振る舞え。あまり遊んだりしたら駄目だぞ?我?我は軽々と振る舞っていいんだよ。その方が皆に慕われるし……」
こ……コイツ……!
 

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名実共に武家の棟梁である将軍となり、室町幕府が正式に成立したその瞬間、尊氏は将軍としての「恩賞を与える権限」以外の全てを移譲します
この間の尊氏は下文の発給や天竜寺落慶等の儀式の参加以外では政務から完全に離れて、田楽観賞等の遊興にふけっている

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【Tips】空白の10年間
尊氏が北畠顕家を討伐したことで征夷大将軍となった1338年から、観応の擾乱の発端となる御所巻が起きる1349年前辺りまでの期間
尊氏は武家の棟梁となったことで政務を全て直義や師直に丸投げして、田楽鑑賞以外のことをしていないと言われている

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南朝に降った直義が北朝の足利政権に復帰したことで歪みも発生している
北朝視点からしたら、直義は敵である南朝に与して北朝の重臣である高一族を滅ぼした謀反人なのに北朝に復権させたわけですからね
北朝最高権力者の裁定としての矛盾。それは南北朝を更なる混沌へと導く

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とまあ、納得いかない部分が多い裁定なのは変わりなく、能憲は直義との交渉の末に死罪は免れ流罪になるなど色々譲歩されました
顕氏の件についても「(私尊氏は)降参人の癖に何しに来た(んですか、会うには恐れ多いです)」と訳すべきという解釈もある
苦しくない?

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さらに直義が今回朝敵に認定させたのは「高兄弟だけ」ということが響いてくる
尊氏が「今回直義が戦ってたのはあくまで師直たちであって我じゃないだろ?じゃあ我負けてないし、将軍だし」のロジックが(ギリギリ)成り立つ
……いや、アンタ打出浜で師直側についてただろ!?

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