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徳川家康『こんばんh(ry
そも、1543年に伝来したのはポルトガル製のそれが東南アジアで改良されたアルケブス火縄銃であって、“火薬の爆発で弾を発射し敵を殺傷する”砲器は日明貿易に携わる商船や倭寇が早くから使用していた
弾丸ではなく矢や槍を撃つ火槍などもあるが、命中精度は悪かったようだ』
徳川家康『こんばんは、徳(ry
赤髭は戦国時代小ネタと言ってるが、戦国時代に塵砲が使われたか管見では疑問だ
確かに三十匁や百匁二百匁の大筒は記録に残るが、何れも遠距離投射攻撃に用いる
扱い辛く確実性に劣る塵砲を近接で扱うとは思えぬ
有識者様の見解を聞きたいものだ』
#西他力本願寺
徳川家康『こんばんは、徳川家y(ry
右の挿絵、視線敵から離してるじゃねーかと突っ込みがあろうが…
この絵が描かれたのは1855年、太平の眠りが上喜撰に覚まされ、俄に国防やら砲術家やらが論議された幕末時代のものだ
もうこの頃には失伝したか、絵師が見栄の良さを取ったのだろうな』
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
火縄銃の弾丸火薬装填動作時、目線を敵から離してはいけない
古伝に多く見られる所作
余所見をすると敵に隙を突かれて不覚を取るためと思われる
但し鉄砲足軽には多くの場合、発砲介助のための雑兵が付いているので乱戦時を除き射手が装填することはない
徳川家康『こんばんは、徳川家康です
赤髭がよく引き合いに出す雑兵物語だが、実は振袖火事(1657年)以降、島原の乱(1637年)に出た者が物も言えぬ腰抜け老人になった頃…1700年頃成立のものだ
しかも書いたのは松平輝貞なる旗本だ
なので記載は伝聞あるいはそれ以下であることを補足しておくぞ』
@econosuke 尼子経久『丸い卵も切り様で四角、物も言い様で角が立つ
…以後、気をつけるように』
尼子勝久「ははっ」
山中鹿介「誰です、あの人」
尼子勝久「知らんのか、かの有名な…」
「松方弘樹!」
『おやっさんは御輿やないの
御輿が一人で歩けるっちゅうんなら歩いてみいや、おう!』
@econosuke 『明日に総攻撃を控えた越前北ノ庄から、妾ことお市の方さん十七歳がお贈りするのだわ
サr…羽柴筑前が末期の酒を届けたから皆、大盛り上がりなのだわ』
「一番柴田勝敏、行李の中に入ります!
…わー暗いよ狭いよ怖いよー!!!」
『もートシちゃん酔ったらそればっかりなのだわー🤣』
三河武士で、関ヶ原の合戦か何かで偵察でしくじって家康に
『逃げたのかよ!使えねーな!』
って言われて
「お前も三方ヶ原んとき逃げたじゃねーか!」
って言い返した逸話のある人の名前を度忘れしたんですが…どなたかご存知の方いませんか
#西他力本願寺派
@Nyudo_Seigan けど武田信玄の家臣で甲陽五名臣だからなあ…
一般的な戦国武将好きに知名度調査したらワンチャンどころか普通に長慶が負けそうで怖い
#武田信玄のネームバリューは偉大
朝倉義景『うむ、気付いたが今日は儂の誕生日であるな
祝いたいものは良きにはからえ』
朝倉宗滴「祝ってやるからじっとしてろ」
浅井長政「呪ってやる」
六角承禎「他所の子になったからもうええやろ」
『お前ら』
#子供の頃の記録が殆どない不憫な子