//=time() ?>
徳川家康『今晩は、徳川家康で(ry
そも、中間や武家奉公人は条件の良い所へと流れるため確保が難しく、参勤交代の時だけ体面を保つため臨時で集める事が多かった
しかし桜田門外の変後は“厄介”…即ち武家の次男三男で腕の立つ者が行列に雇われる事が増えた
坂下門外の変が失敗したのもこれが原因だ』
徳川家康『こんばんは、徳川家康です(
この“給料は必要経費込み”があるため優秀な人材を抜擢するなら加増が必要で、八代将軍吉宗の頃にこれを行える“足高の制”が出来た
地位に併せて臨時に加増するという制度だったが、御役御免になっても支払われており事実上の加増だったようだがな』
徳川家康『付届けは交際費なので、上は大名から下は町の岡っ引きまで発生する
中村主水など南北奉行所の小役人でも受け取れることが出来、筆頭与力の田中さんになるとその額は大身旗本の収入に匹敵した
まあ、武士は人件費(彼らの生活費含む)がバカ高いから丸儲けにはならんのだがな』
@dousetumiki 宇喜多秀家「解せる」
三好実休「解せぬ」
三好長治「超解せぬ」
加藤清正「解せぬが我慢もしろ」
#法華宗と愉快な仲間たち
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
江戸幕府が禁じた宗教はキリスト教だけではない
法華宗不受不施派も禁令とされた
法華宗を信じない者は将軍家であっても靡かないという反体制的要素があったため
豊臣秀吉の法要要請を拒否した事から弾圧が始まり、寛永七年には江戸幕府より邪宗と定められた
囲碁好きの豊臣秀吉『ああ…
だから、儂が十重二十重に碁石を打って小田原城を雪隠詰めにしめも気付かんかったんやなって』
北条氏政「…地方政権相手に、二十二万も碁石持ってきた奴が言うなし」
#なお早雲寺殿廿一箇条では歌道は推奨されている
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
北条家では友達の選び方まで定めている
分国法の一つに数えられる“早雲寺殿廿一箇条”だが、法律というよりより良い武将になるための箇条書き風で、そのまま小学生の教訓に使える様な内容である
なお、悪い友人は囲碁将棋・笛尺八の友である
#早雲寺殿廿一箇条
@dousetumiki 松永久秀『ん?』
筒井順慶「えっ?」
多聞院英俊「ちょ待てよ」
#日本の面倒臭いの集めて煮詰めた釜をやると言われても #鶏肋
武田信玄『武田領は金はあれど山がちで穀倉地に乏しく、中山道は東海北陸に比べ商業振興に遅れがある
儂が盟約に背いて駿河を、海を臨んだ理由だ』
上杉謙信「で、ボクには感謝してくれてる?(にまあ」
『…お前は送ったんじゃなくて販路続けただけだろ、幾ら儲けた』
「…。」
『言え、なんぼや』