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赤髭公ばるばろす。さんのイラストまとめ


戦国歴史と三好長慶と史跡を愛するおっさん。怖がりで恐怖画像や動画は苦手なのに怪談は大好きな変わり者。バース掛布岡田以来のライトな虎党。WWF時代のアメプロファン。
 ハイエース乗り。昔は車中泊好きだったが今は旅行する気力もない。
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塩は軍需物資

兵糧の一部であり、同じく兵糧である味噌の醸造にも必須だったため

海がある国なら塩釜で海水を炊きこんで形成し足軽達に渡すことが出来た
『塩が切れるのは水が切れるより辛い』と雑兵達は語る

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日本の馬に蹄鉄を打つようになるのは幕末の開国以降

なので戦国時代の騎馬に蹄鉄はない
蹄鉄が無いと馬が駆ける際に体重をかけると僅かだが馬蹄が撓むためしっかりとした駆歩が出来なくなる

鎧武者を乗せて競馬場のような長距離は走れない論拠の一つに挙げられる

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ヤクザの指詰めは戦国の刑罰に由来する

戦場での同士討ちは大概が“討たれ損”だが、悪質な場合は容疑者の左手ないし右手の小指を詰め、罪を重ねると反対側、薬指…と順に詰めた

なので手を見れば粗忽者と判ったようだが、手指は鎧武者の急所なので無い武士も多かった

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戦上手は逃げ上手

押すときは圧し引くときは退く、進退の妙は兵法は無論、最前線で戦う者も必須の嗅覚で、これが備わらないと逃げ遅れて命を落とすという

織田信長が逃げっぷりの良い敵将をそれで判断した逸話、馬場信春が手柄を立てる秘訣に進退を挙げている

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豊臣秀吉『儂の治世頃の動員令は俗に“石高三十石で足軽一人”というが、無論彼らにも戦闘補助員である雑兵が付き、維持費も掛かる

雑兵は農民上がりだが逃げ惑うわけでなく、優勢なら侮れん戦力になる

彼らの暮らしは1700年頃と成立は遅いが「雑兵物語」に詳しい
興味があれば読むといいぞ』

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松永久秀の妻は元関白夫人

久秀の妻、に該当する女性は何人か居るがその内の一人・保子は権大納言広橋国光の妹で従一位関白左大臣・一条兼冬の未亡人

保子は1564年に亡くなるが、久秀は大林宗套ら高僧を招いて盛大に弔い、堺の南宗寺に勝善院を建てて追善した

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確かに同じ丹後内に一色も居るし、蛍…じゃない京極高次も居るので、明智光秀の誘い蹴ったのが英断というべきですね考えてみると

光秀は『怒ってるの当たり前だよね、仕方ないよね、摂津あげるから』とか『忠興と十五郎に後譲る』とか色々と宥めてますが、細川家は懐柔の価値があったんでしょうね

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問・なんでお父さん共々行動を起こさなかったんですか

答・細川忠興『言うて明智光秀は儂の岳父であり細川家の寄親だからな

山崎の合戦次第で天下はどう転ぶか判らなかった
所詮、天下人の席も一期の夢…風呂の前後ですら変わる事を近畿勢は知っている
義憤や一時の感情で先走りはせんのだよ』

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本能寺後の筒井順慶の優柔不断振りは名高いが、細川幽斎も似たような事をしている

明智光秀の誘いは蹴ったが弔い合戦を起こすでもなく、山崎の合戦で秀吉に付いた訳でもない

合戦終結後に本能寺の焼跡で信長追悼歌会を主催するまで雲隠れしていた

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三好長慶『ん、今日は儂の命日か』 
松永久秀「大殿、なんで五十歳まで生きて下さらなんだ」

『生きておれば、信長の覇道を阻み三好の滅亡も無かったか』

「いえ
信長や秀吉と接点が生まれて、今より戦国武将ランキングの常連になれてました」

六角承禎「せやろか」
『「誰だお前」』

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