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内藤昌秀「喧嘩を売られて黙ってるのは男じゃない!
喧嘩両成敗なんて軟弱者の法だ!」
春日虎綱「何、宴の席で一献奨めたのに相手が飲まない?
…無理矢理でも飲ませろ、男の意地だぞ」
武田信玄『お前ら』
#甲陽軍鑑
上杉謙信『戦国武将の世継は幼少期から文武両道を鍛えられるが、その際の教師役として僧侶が選ばれるのはその学識の高さと、武将に必要な知識を得やすい環境にある
儂が林泉寺の天室光育に学んだ際に兵法ばかり熱中していた、というのも林泉寺が長尾家縁の寺で、戦術書を蔵書していたのかもな』
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
弓足軽は矢を撃った後に隙がある…とは限らない
弓足軽には矢箱持ちという換え弓や矢の運搬、射撃介助の雑兵が付いている
矢箱持ちは主人が射撃した後に矢を渡す、次の一射を番えるまで敵を防ぐ役目がある
弓足軽は撃つことに専念でき速射が可能になる
朝倉宗滴『大河ドラマなどで弓足軽の射撃を受け、胸に矢が突き立って倒れ伏す雑兵の姿が描かれるが、手練が撃った鏃は時に敵の体を貫通した
『下矢(くだしや)』というやや斜め下に向けて射る矢は弓の構造上特に強力で、兜はおろか頭蓋骨も錣もみな貫通したという
雑兵弓はかくも侮り難い』
徳川家康『ちょっと待て、儂は1543年生まれだから顕如と同い年だぞ』
本願寺顕如「なに戦国時代生まれが西暦換算で年数えてるんだ
旧暦換算ならお前1542年生まれだぞ」
#日付だと十日ばかりの差だが年またいでるので数え歳だと顕如が歳下 https://t.co/sR8tULs9hB
@tanemunedate34 織田信長『このヤリチン坊主が』
本願寺顕如「お前んとこは親父も絶倫だからそっちの方が罪深いぞ第六天魔王」
『お前、蓮如のこと差し置いてよく言えるな』
「顔も見たことない御先祖様だからノーカンでおk」
『なんという詭弁』
「これぞ他力本願、悪人正機」
#違う
本願寺顕如『今日は浄土真宗本願寺派第十一世、顕如光佐の生誕日である!
門徒衆よりの喜捨は石山本願寺で絶賛受付中だぞ!』
織田信長「法主というからどんな爺かと思いきや、儂より九つも年下だったのかこの生臭坊主は」
『…よーし表出ろ、天下布武もう十年遅らせてやる』
#家康よりも歳下
@raisoku_123 信長の野望は昔から大河や漫画など流行りに顔グラが影響されますからね
ひょっとしたら御本人を模したのかもです
#天翔記の本多忠勝は当時大河に出てた黒田アーサーさん
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
蜂須賀至鎮は李氏八極拳ばりの震脚が踏める
徳島城公園の枯山水庭園には“義伝公踏み割り石”とよばれる石橋が架かっている
中央が割れているが、毒を盛られた至鎮が口惜しさのあまり踏み割ったとの伝承が残されている
#新年早々ネタ切れか