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多聞院英俊『松永父子が自刃し果てたのは十日夜の事だったが、十月初めから畿内の夜空には巨大な箒星が在った
興福寺も厄除祈禱を行ったが、京雀達は彗星を“松永星”と呼び久秀滅亡の兆しと噂した
弾正はこれを聞いて
“箒星は天文の理で煌めく”
と嘲笑ったそうだ
最後の最期まで、喰えぬ男よな』
松永久秀『おお、儂の法要が営まれておるのか!有り難い話だ
…しかし、藤勝の小僧(筒井順慶)は生涯の仇敵だった儂を何故に弔ってくれたのだろうな』
多聞院英俊「死んでしまえば皆、佛じゃからの
幾ら生前に梟雄であっても、死さば悪事も出来ぬ。恐ろしきは生者の業よ」 https://t.co/L4qY0g9IB6
徳川家康『小幡景憲が武田信玄が振るったという軍配を再現し、鉄製で北斗七星を金銀に鏤めた見事なものを持って来たんだが…
クッソ重たくて持てたもんじゃなかったな』
小幡景憲「謙信の小豆長光を受け止めたんですよ!?
絶対金属製ですって!」
#せやろか https://t.co/X9OtMK0Cxu
@nobutoyo_tenkyu 高遠頼継『上原城と高遠城がある…
儂の出番か!勝ったな!』
仁科盛信「違うぞ」
#たぶんゴローちゃんの居場所か死場所
@nobutoyo_tenkyu 穴山梅雪『やっと儂が社員でも支社長でもなく社外取締役だと再現されるな』
朝倉景鏡「出陣令?ヤだよ疲れたもん
お前が行けよ」
#窮状でマウスもしくはコントローラ投げ捨てるプレイヤー続出必至
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
戦国時代にも“石田散薬”的な薬があった
陰流の祖・愛洲移香斎が考案したという“愛洲薬”がそれで、打撲・内出血・火傷から婦人病にまで薬効があった
上泉信綱を通じて山科言継に伝わり、よく聞く薬であったらしく言継は請われて愛洲薬を度々処方している