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本願寺顕如『今日は山科本願寺が陥落した日か…厭な日だ』
細川晴元「厭な…事件でしたな」
『管領殿の口車に乗った結果がこれですわ!』
「暴徒化した信者を慰撫できん教祖も悪いぞ」
『全く…しかし良い教訓を得ました』
織田信長「…石山本願寺が超時空要塞化したのは管領家のせいだったのか!」
@kogakuboshige 豊臣秀吉『“お前、姉か妹いる?”って聞いたら
“ともねーちゃんとあさひ”
って言われて、あこれアカンやつやって思った』
#なお原作はよく知らない
@tanemunedate34 福島正則『酒は呑んでも呑まれるな』
大友宗麟「宗教と女は程々に」
鍋島直茂「若い時の時間は無駄にするな」
明智光秀『行動は計画的に、いくら切羽詰まってても』
@dousetumiki 大友宗麟『名字が三つあって改名歴がwikiの凡例で4行くらいある人物の発言は認めない』
立花宗茂「誰と誰の倅のせいだと思ってるんですか」
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
羽柴秀長が“秀長”だったのは晩年六年間、細川幽斎が“細川幽斎”だったのは晩年十年間だけ
秀長は人生の大半が“長秀”で、幽斎は織田信長に仕えて関ヶ原合戦が終わるくらいまで“長岡兵部大輔藤孝”だった
常山は上杉謙信贔屓だったようで、明らかな上杉の敗戦である八幡原の合戦(第四次川中島合戦)を武田勝利とする事まで批判し、山本勘助が参謀総長と前提・高坂弾正を“香坂”と書くのは誤りであるなど、的外れな指摘も数多くある
#常山紀談成立は1770年
朝倉景鏡『軍勢の大半は農村に紐付いた雑兵であり、彼らを失う事は軍事力だけでなく生産力や商業、治安維持にも支障がある
得る物少ない防衛戦が続き、更に負け続ければ戦国大名の軍事力を支える家臣達は破綻する
儂らは社員ではない、株主だ
儲からない株を抱えて代表取締役と心中する義理はない」
松永久秀『連日猛暑だな…こう、背筋が寒くなる様な話はないか』
長宗我部元親「八人みさき」
『青空文庫にもある、正統派の怪談だな』
山中鹿介「八つ墓村」
『フィクションじゃないか、騙された!』
金森長近「…82歳の時に実子が生まれた、養嗣子(48歳)が居るのに」
『「「怖ッ!!!」」』
@nobutoyo_tenkyu 朝倉景鏡「お金がないなら主家を売ればいいじゃない」
穴山梅雪「せやな」
小山田信茂「せやな」
武田勝頼「せやろか」
#ただし代償として500年過ぎても晴れない濡衣を被せられる諸刃の剣