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#意外に知られてないんですけど
三国志時代の中国には鐙が伝わっていないので、馬上一騎討ちは至難の業
三国志演義は、二〜三世紀の三国時代の話を十三〜十四世紀頃の文化通俗で描いているので、実際には存在しなかった武具が描かれている
鐙無しで重さ50kgの偃月刀なんか振り回したら、多分落馬する
@nobutoyo_tenkyu 三条夫人『この泥棒猫』
武田信繁「御義姉様‼」
柿崎景家「合戦しろよ…。」
#3年H組昼メロ先生 #あとで助走付けて殴られるいつもの展開
@yasuner1103 第四次川中島の諍い
上杉謙信『今度こそ信玄先輩にラブレター渡す渡す渡す…(ぐるぐる眼で単騎突撃)』
武田信玄「やべえ別働隊の山県と本命の源五郎(春日虎綱)帰ってきてねえ!…勘助のアホがっ!!』
上杉謙信『ミツケタ(にまあ』
武田信玄「こっち来んなああああ!!」
#なお第5次がある模様
@nobutoyo_tenkyu 川中島の諍い
『私じゃなくて源助みたいな青二才とだなんて、許せない!』
「怒ったら人質の子供二人の頭片手で掴んでバッサリ首飛ばすようなバチギレヤンデレと付き合えるか!」
『ミツケタ…(単騎突撃』
「やっべあの眼は影武者なんかじゃねえ…原大隅、どこいった大隅ィ!!』
#川中島の合体に続く
@raisoku_123 四嫌短弔『…もはや誰だか判らんな』
四嫌花働「名字までひっくり返さんでもよかったんちゃう?」
#三の逆が四になる理由はお近くのサイコロを御覧下さい
@nobutoyo_tenkyu では先代鬼美濃さんと2shotでお届け
虎胤さんも良い面構えですが戦国SLGの常というか、お迎えが早くて1563年位になるとひっそりと居なくなってしまうのが切ない
#なお太閤立志伝5なら月末病気になるたび診察して無理矢理薬飲ませると1570年くらいまで引っ張れるがそれはそれでどうなんだろう
@nobutoyo_tenkyu 甲陽軍鑑とかだと、板垣の爺亡き後の信玄叱れるクラスで逸話も豊富な人ですからねー…
戦国SLGとかだと築城術に優れて内政手腕もあって面構えが渋いので、確かにファンは多そうです
#太閤立志伝5のこの鬼不死身のさんの据わった眼が素敵
@nobutoyo_tenkyu 馬場信春『儂も“発給文書(一次史料)が殆ど無い≒山本勘助並みの伝説級人物”って言われたのは辛かった』
豊臣秀吉「え、信長公記に載ってるぞ」
『あれは二次史料だぞ。信長への尊称がコロコロ変わる』
「…まあ、儂も一次史料(木下藤吉郎名義発給文書)以前は武功夜話頼りだしなー…まあ一杯飲めや」
#意外にこれ知られてないんですけど
普通、仏教の宗派法統は師弟で受け継がれていくが浄土真宗本願寺は世襲
そもそも真宗開祖の親鸞が結婚しているし蓮如も顕如も鉄板で親鸞の子孫
結婚したい煩悩があっても阿彌陀様の教えは聞けるやん、煩悩は必ずしも悟りを邪魔せんのやでという思想に基づく