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永禄十二年(1569年)閏五月十一日
“曼殊院覚恕(後の天台座主)の御屋敷が屋根を葺き替えたとの事で挨拶に出向く
次いで甘露寺経元を訪ね、改元などについて話し合う”
山科言継『三好匠作殿の決めた永禄もはや十二年、そろそろ…え、近くに破れ奉行来てるの?』
#言継卿記 #たぶんその速水右近じゃない
元亀二年(1571年)五月十日
“真如堂蓮光院(足利義輝の菩提所)に招かれ、来る十九日の義輝七周忌について話し合う。儀式の音楽については四辻家(家業が和琴・箏)に申し渡す。”
山科言継『まあ、奇天烈な公方様でしたが…京雀達の人気は今も上々な事てすし、御弔いして罰当たらんですやろ』
#言継卿記
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
上杉謙信は備前長船長光と景光、織田信長は備前長船光忠の蒐集家
信長所蔵の“実休光忠”は長船派に合わぬ波紋が特徴で、三好実休が久米田で討死した際に太刀打ちした痕跡があったとされ、信長が本能寺で最後を迎えた折にも所持していたと伝承されている
#意外と知られていない戦国時代小ネタ
徳川家に祟る妖刀としてお馴染みの“村正”だが、村正は伊勢桑名の刀工なのでもともと業物が伊勢湾岸国に広まっており、家康も没後の形見分けで初代千子村正を所蔵していた事が判っている
また、本多忠勝の槍で名高い“蜻蛉切”も村正作である
本多忠勝「大殿が内大臣職を拝命し“内府”と通称される様になりましたが、実は読みが“だいふ”だと聞き及んだのですが」
徳川家康『左様。正しくはだいふだ
…しかし、儂としては“ないふ”が良いな』
「何故でございます?」
『…“私はナイフ”っていう鉄板のネタが使えなくなる』
「」
#工藤静香
赤髭公ばるばろす。さんについている守護霊は上杉謙信です。
貴方を片思いから救ってくれるでしょう!
#shindanmaker #貴方についている戦国武将の守護霊
https://t.co/OYy2BA2zUv
上杉謙信『血液型がAB型であること共通項が無いな』
上杉謙信(病)「…片思いって何。僕と晴クンは両思いなんだけど」
二条晴良「古今東西、“野球が上手そうな皇族”!
ブンブンブブブン!」
(ドンドン)
正親町天皇『磯野王!』
二条晴良「あー主上、それ最初に言っちゃったら臣下は続けませんよ」
正親町天皇『であるか』
#磯野・王なんだからたぶん絶対上手い #正確には礒野王 #オチがないがそれでいいのか
@SquareDeerHorn 小瀬甫庵『(筋書きのないドラマは面白くないしスポンサー受けも悪いから脚色しちゃ)いかんのか?』
太田牛一「アカンぞ」
徳川家康「てか豊臣礼讃がアカンぞ」
#戦国武将を四百云十年前から同人誌化した奴らと規制する側
正親町天皇『しかし、日ノ本の皇室は僥倖よな
幾ら威光が翳り、時には部下に反逆されても遠島配流で済む。
唐土の様に一家惨殺される事は無い』
二条晴良「殺害されたのは、崇峻帝と…安徳帝に淡路廃帝の御三方だけでしょうか
西晋の司馬鄴などを思うと、確かに平穏やも知れませぬな」