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北条氏康「無敵艦隊が沈んだぞ、長尾」
上杉謙信『沈まない太陽など無いからな、伊勢』
「鋼鉄の騎士団がリーグ敗退か」
『勝って当然と絶対に勝てるは違う、ということだな』
今川義元「わかる」
上杉憲政「いや(河越城の)ゴールラインあれ絶対に割ってたって‼」
「『帰(って下さ)れ』」
柿崎景家『今日は作家の海音寺潮五郎の命日だな
戦国武将に影響を与えた作家といえば司馬遼太郎だが、この先生の影響も座視できんぞ
戦前から活躍していたので流石に文体や認識が古いが、図書館にいけば必ず著作があるので読むと良い
…儂が頭悪かったの、絶対この先生のせいだろうな…』
長宗我部兼序(元親祖父)「一条殿の御厚恩、七生まで忘れるな。我が子孫も謝恩の志を持て。もしこれに背くようなら弓矢の冥加が尽きるぞ!」
問・尽きたんですか?
答・長宗我部盛親『…親父の寿命がクッソ面倒臭いタイミングで尽きたぞ』
#土佐物語 #元親は1599年没
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
参勤交代は大名側が幕府に希望して始まった
当初は参勤、参じて勤めるではなく参覲、参じて覲(まみ)えるだった
国元に居るより江戸に居るほうが幕府に変な勘繰りをされずに済み、情報収集がしやすかったため
細川忠利が参勤交代を建白、徳川家光が受理して成立した
宇喜多秀家『む、気付けば今日は儂の命日であるな
1655年没は内府の孫・家光より長生きである、とはよく聞く話だが…実は島津殿が関ヶ原戦後長く匿ってくれていたので、流されたのは1606年…徳川家光誕生後だったりするぞ』
稲葉一鉄『ふむ、今日は儂の命日であるな
頑固者で通っておるようだが…
支配者が度々変わった美濃の乱世で盛衰の読みを過たず完走した寝技師振り、茶道や中国の古典・医学にも通じ、旧主・土岐頼芸の死に水も取った融通無碍振りは、かの細川幽斎殿にも遅れは取らんと思っておるぞ』
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
相模北条家の雑兵は七十歳過ぎでも動員が掛かる
おそらく出撃する足軽=戦闘用員が他家より多く、結果として補助要員も多く必要なため
彼らを捕捉する政治基盤、兵糧を支払える財政地盤があることも大きい
#天正壬午で万単位ポンポン出撃させてくるチート大名