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「お名前をどうぞ」
二条晴良『にじょうはるよしです』
「はるなが とか はれなが となはれよし とか色々ありますよね?」
『この時代の一次史料に誰かが、ひらがなで書いてくんないと解んないだよそんなん!』
#この時代の皇后や内親王に音読みが多い理由
問・言うて天下人だから贅沢してたんですよね?
答・徳川家康『万畳敷の屋敷があっても、座って半畳寝て一畳
八珍の美食を並べ立てようが飯の宛になるのは二・三菜だぞ
旨いもんでもそればっかりでは旨くなくなる
生命は食、人は呑む喰う物が大事なのだ
燕雀も鴻鵠も健康でなくては志を成せぬ』
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
徳川家康は医食同源を理解していた
鯛のてんぷらの逸話で損をしがちだが、漢方医学ほか食事が健康に係わる事を意識していたという
織田家から真冬に届いた桃に手をつけなかった、美食は月に二度三度で良い、麦飯を好んだなど家康と食に関する逸話は数多く残っている
問・なぜ今川家が悪い事になったのですか?
答・徳川家康『三河物語は家臣の大久保忠孝が編んだものだが、儂は常に正しいという観点で書かれている
江戸時代は主君は尊属であり、家臣は卑属なのでいかな理由があれど逆らってはならん
今川家は徳川に背かれる理由がなければならんかったのだろうな』
問・なんで今川家は悪いことになってるんですか
答・徳川家康『三河物語は家臣の大久保忠孝が編んだもので、常に儂は正しいという観点で書かれている
江戸時代、主筋は尊属であり卑属の家臣はいかな理由があれど逆らってはならん
今川家は徳川に滅ぼされる理由がなければならんかったのだろうな』
問・なんでそんなに頑張ったんですか
答・徳川家康『子孫一族の繁栄は武士の務めだからだ
側室に経産婦ばかり迎えた時節があったのも全てはこの一願の為よ』
豊臣秀吉「一人くれ」
徳川家康『おじいちゃん、一人あげたのに捨てたでしょ?』
#結城秀康
#明日使えそうな戦国時代小ネタ
徳川家康の長子と末子は半世紀近い開きがある
長男信康は十八歳、末娘の市姫は六十六歳で儲けたのでその差は48年
信康の娘・とくは1577年、とくと小笠原秀政の子・忠脩は1595年生まれ
市姫は年上の大甥がいた事になる
なお48年は戦国時代で推定二位記録になる
問・なんでそんなに頑張ったんですか
答・徳川家康『子孫一族の繁栄は武士の務めだからだ
側室に経産婦ばかり迎えた時節があったのも全てはこの一願の為よ』
豊臣秀吉「一人くれ」
徳川家康『おじいちゃん、一人あげたのに捨てたでしょ?』
#結城秀康
徳川家康『わしの誕生日もこのせいで面倒臭いんだよなあ
西暦換算すると年を跨いでしまう、跨ぐと数え年がズレる』
小瀬甫庵「ガタッ)権現様も元旦生まれにすればまるっと解決しますよ」
徳川家康『座ってろ』 https://t.co/mWNckVLvJk
#明日使えそうな時代劇小ネタ
士分以外、特に由緒のない一般民の宗教は住所を管轄する寺院の宗派で決まる
キリスト教取締のため民衆は必ず何処かの寺の檀家になるよう定められ、各寺院は宗門人別帳という戸籍として管理している
住居を引っ越すと管理する寺も変わるので宗派も変わることがあった