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……ろくでもない歌だ。
3月22日、5121小隊が投入された人吉戦区における防衛戦の記録にも、『ガンパレード・マーチ』が登場する。
日本政府が1月に急遽決定した新全国高等学校在籍者用カリキュラムには、軍事教練の時間と一般教養科目が設けられていたのだが、学兵達からすればこの死地熊本で国語や世界史、外国語、数学を学ぶ時間は無駄でしかなかった。
1999/03/10 #ガンパレ熊本戦20周年追想 1999年3月10日。 5121小隊の指揮車整備士、中村光弘は部隊に対する貢献を認められて十翼長に昇進していた。 軍隊生活は勿論、人生においても重要なのは発言力であろう。
一方で結成時から試作の人型戦車を運用していた5121小隊は、9日も火消しに励んでいた。 この日の担当戦区は後に激戦区として有名になる阿蘇特別戦区である。 が、このときは未だ小型幻獣を群れが屯ろする程度であり、同戦区の幻獣勢力は人類にとってさほどの脅威とは見做されていなかった。
戦線は膠着状態であるが、それは平穏を意味するわけではない。 むしろ実態は血を吸い続ける消耗戦。 そして小規模であっても一戦の勝敗が、今後の戦局を左右するであろう厳しい時局であった。
20年前、戦争があった。 #ガンパレ熊本戦20周年追想