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クリスチャン=ジャック監督作、幻の馬 (1945)を見る。腹黒い鐘撞き男が馬商人を事故に見せかけ殺害、山奥の村に密かな波紋が広がる。欲望や嫉妬心を主題に据えた脚本は名匠ジャック・プレヴェール。描写自体は徹底して具象的ながら、どこか夢の世界のような味わいがある。放れ駒の疾駆が人心を象徴。
エドワード・ドミトリク監督作、影を追う男 (1945)を見る。大戦終結後、独軍捕虜だった兵士が妻を殺した戦犯を追って南米へ。“ブロンドの殺人者”の監督主演コンビが再登板、心身共に傷を負い復讐の鬼と化した男の旅をノワールタッチで描く。戦争の落とし前としての復讐行に'45ならではの時代性を見る。
ルネ・クレール監督作、そして誰もいなくなった (1945)を見る。謎の主催者により孤島に集められた十人が童謡の歌詞通りに次々と命を落とすことに。原作の重苦しさを薄めたクリスティ自身の戯曲を元に映像化、名匠の黒いユーモアたっぷりの語り口に唸らされる。巧みな演技と演出で魅せる推理物の逸品。
ロベルト・ロッセリーニ監督作、無防備都市 (1945)を見る。第二次大戦末期、独占領下のローマにおける過酷なレジスタンス狩りを描く。ネオレアリズモ映画の嚆矢となる作品だが、記録映画風というよりも、職業俳優によるドラマとして全体主義の非道さを糾弾、我々の胸に強く迫る。古びない名画の一本。
アーヴィング・ラパー監督作、小麦は緑 (1945)を見る。炭鉱町に学校を開いた女性が、目をかけた青年のオックスフォード合格に尽力するのだが。芯の強い女性が己を捨てて若者の将来を見守る...という感動作ではあるのだが、そうなる動機や意義が言葉で語られてしまい、戯曲原作の悪弊が露呈する。残念。
ロベルト・ガヴァルドン監督作、La barraca (1945)を見る。19世紀のスペイン、地主との対立の象徴となった農地が新参者に理不尽な迫害をもたらす。不合理な意地を通す共同体とその犠牲となる一家の物語で、“義人の苦難”としてヨブ記の伝統が窺え、クライマックスがまさしく“燔祭”に見える異様な傑作。
ジョン・イングリッシュ監督作、The Phantom Speaks (1945)を見る。死刑となった凶悪犯が死後の世界を研究する学者に憑依、裁判の関係者を次々と血祭りに。悪霊憑きを似非科学風にアレンジしたB級ホラーながら、その一点勝負が功を奏して十分楽しめる70分。フィルムノワール的な雰囲気も上々な恐怖譚。
ジョン・ブラーム監督作、戦慄の調べ (1945)を見る。心に病を抱えた作曲家が独善的な歌姫に翻弄されたことで...。バーナード・ハーマンの印象的な楽曲に乗って悲劇的なサイコドラマが展開する。主演の個性派レアード・クリーガーが役作りのための無理な減量が祟り本作撮了後に急死、映画同様の悲劇に。
アンソニー・マン監督作、グレイト・フラマリオン (1945)を見る。孤独な拳銃曲撃ちの名人が、男を食い物にして渡り歩く妖婦に関わったことで...。小品だが、ファムファタール物のお手本のような出来栄えで、開巻から続く緊張感は監督の力量を存分に示す。我らがシュトロハイム氏も作品の格上げに貢献。
マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー共同監督作、カンタベリー物語 (1944)を見る。戦時下の英カンタベリー周辺を舞台に三人の若者の心の旅を描く。古都の歴史や田園風景が困難な時局を陰で支える祖国の力を象徴、若者たちのドラマが明日へと向かう福音のように共鳴する終幕に目を見張る。