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レジェンダリー・ゴジラのごっつい巨体が、日本ゴジラとの差別化図る目的とスクリーン占有し巨大な存在感魅せる目的というデザイン上の理由だけだと勿体無いな、と思ってたら『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』でギドラにタックルしビル粉砕で実用性機能性を証明したので、おおお!と興奮したな。
あーー、良いですねこれは。
スペシウム光線が観客の想像力よりも長いから観客の、そこまでは描写しないだろう、という油断をバーーン!と「撃ち抜いてくれる」のが。
最早伝説とも呼んでいい『ゴジラ VS コング』の、ゴジラ世界貫通熱線。
香港はSFなのに地下空洞はファンタジー、本作、一つの映画に異なるジャンルが混在していたのをゴジラが熱線で無理矢理ジャンルとジャンルの壁を貫通して繋げてしまった。
ジャンルと物語の隔たりにゴジラが「道」を作ったのだよ。
『GODZILLA ゴジラ』、艦隊とゴジラが並走し泳いでるシーンを何の説明もなくサラっと描いてたのには、マジで興奮した。
“いつもの”ゴジラなら、視界に入った瞬間破壊していたのを、「気にしてない」というね。本ゴジラには人間なんて取るに足らんから、そこを説明もなく描く事で性格を補強してる訳よ。
ここからのゴジラに向けて突進しクライマックスに突入するけど、この登場シーンで上がったテンションが全く下がらないでエンディングまで突っ切るのは大したもんだな。
計らずしも、怪獣の登場シーンを大事にしてた「モンスター・バース」の踏襲を踏まえるメカゴジラ登場シーンになった。
何度も書いてるけど、『GODZILLA ゴジラ』(2014)が熱線を吐いた瞬間こそが、あの映画にあった“リアリティ”が焼失した瞬間であり、「モンスター映画」が「怪獣映画」へと昇華された瞬間なんだよ。“リアリティ”はゴジラにより倒された。
だから、『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』が神の領域に→
『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』と『ゴジラ VS コング』なら断トツで『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』だよ。
怪獣を、人の範疇を遥かに越えた存在として驚異的且つ、想像の上を行く細かな調整で、背景を加えた、動きそのものにすら美学を与え、怪獣の神格化を映像表現で本物にしてる。
新しい『ゴジラ VS コング』のポスター、構図と背景変えてるだけで、先に公開されたポスターと同じやな。あと三枚目のゴジラが、ゴジラの玩具置いてあるみたいで好きじゃない。
正直手抜きっぽいんで、やっぱり宣伝にかける時間も予算も無かったんではないかな?