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ゴジラ108さんのイラストまとめ


冬場に二日放置したカチカチの牛丼を何とか食べようと考えた私は、熱湯を注ぎお茶漬けにしてみました。その後の記憶はありません。

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我が愛しのレジェンダリー・ゴジラは地球環境を背負ってはいても自分の為にしか戦わない唯我独尊の存在でね、人間なんてどうでも良いから無視してるし、言ってしまえば「核兵器」もゴジラからしたらどうでもいい訳よ。
そんで何世紀も孤独に生きてきたのは、何世紀も孤独と戦ってきた、の裏返しでね。

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俺、『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』の予告観た時はマジで「生きてて良かった!」と飛び上がったんよ。
ゴジラが軍連れて登場するとか、ゴジラとギドラの正面衝突とか、「こういうの観たかった!」と「こんなの観た事ない!」が同居して、「俺は此を観る為に生きてきたんだ!」と暴発したよ。

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やはりレジェンダリー・ギドラはカッコイイ。
日本ギドラには神仏が宿っているが、此方のギドラには魔が宿る。
ただ悪であれ、という純粋悪の魅力だ。其でいて個別性格を持つ庶民的愛嬌とを両立させ、ゴジラを倒す圧倒的強さにより、ギドラに課せられた全ての性格は一点へ集約するよう裏付けされてる。

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初代『ゴジラ』を観てると、ゴジラが設定も物語も飛び越え、「このモノクロのゴジラが60年後にアメリカで宇宙怪獣と戦うのか…」という不思議な感覚になる。
人が越えれない時空や空間をゴジラだけは移動し、色んな時間と色んな場所で色んな敵と戦ってるみたいな。

今も何処かで戦ってるかもしれん。

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『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』のこういう画は、リアリティから解放された怪獣でなければ成立しない怪獣本来の姿。
リアリズムは謂わば理屈なんで、半端な理屈で怪獣をカッコ良く撮ろうとするとゾンビ化したリアリティが邪魔します。屁理屈でも“カッコ良い”を貫く映画こそ怪獣を生かします。

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見てみい↓。このヌメヌメのテカりと感情の読めん動きと置物みたいな目を。
昔の西洋人はタコを悪魔と呼んだらしいが、その審美眼は鋭い。
映画内での本物のタコの異様さこそ、昔の人が見た悪魔そのものでないか?
悪魔は山羊頭なんかではない、タコの形だよ。そして特撮セットの上では怪獣に化ける。

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『三大怪獣地球最大の決戦』も『ゴジラ VS キングギドラ』も好きだけど、俺は『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』なんです。

俺にはね、アメリカ映画の方が肌に合うの。アメリカ映画の持つ、ポイントを押さえたリアリズムと巨費と大作然としたエモーションな演出。俺には映画って此なんですよ。

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『プロメテウス』

色彩鮮度が美しく、CGと景色の同調率が高い。
SFの世界が、地に足をつけ、手の届く範囲にあると思わせる映像美の中、SF世界に閉じ込められていた異形がその手足を噛み砕く。
此は、美しきステンレス製の解剖台で行われる、処刑と帝王切開の映像化だ。

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ギドラが近くにいるだけで人間は死から逃れられない。念仏は彼等の死亡確定を煽り、絶望を煽る。

そこにゴジラが登場。伊福部先生のスコアが念仏を掻き消しギドラが退いた事で、絶望がぶっ壊されたのね。
そして両者対峙。
絶望から一転、場がフェアにされるこの流れとショットに、毎回喚声が出るわ。

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『GODZILLA ゴジラ』の戦った相手はMUTOではなく映画の“リアリティ”で、「ゴジラ VS 映画の構造」なんです。

『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』は?というと、此はまんま「ゴジラ VS キングギドラ」の構造です。
二大怪獣が激突する為、構造と戦う余裕も必要も、ゴジラと映画にはないからです。

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