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レジェンダリー・ゴジラがMUTO雄を尻尾で殺すシーン。
此、ゴジラの尻尾の動きがとても素晴らしい。
ゴジラの体がゆったり動いていたと思ったら、尻尾が別の生き物の様に瞬発的に動き、鈍い音と一緒に既にMUTO雄を潰している。
“巨大で重量のある肉体が衝突した”、というのが刹那に理解出来る衝撃。
『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』
俺は本作を、「形容詞が無力化する映像“のみ”しかない」と評するが、要するに─「うおー!」「スゲェ~!」─という我を失う状態。
「ゴジラが好き、怪獣映画が好き、アメリカ映画が好き。でも其が全部揃う日が来るか?」
まさか、来るとは思わなかった…。
初代『ゴジラ』
「お父ちゃんの所に行くんだよ」の母ちゃんは、何を見てこう言ったのかが常に気になる。
カメラが寄り、子供を抱えて斜め上を見上げるこの母ちゃんは、ゴジラを見てるのか、炎上する東京を見てるのか、空を見上げてるのか。
或いは全部か。
ただ視線の先に“死”があるのだけは分かる。
好きな映画のオープニングも『GODZILLA ゴジラ』(2014)。
カイル・クーパーの演出は、ゴジラのフェイク・ドキュメンタリーを観ている様。
このオープニングだけで、「ゴジラのいる世界観」を観客に植え付け、白文字で塗り潰す作り手のクレジットが、映画の中の世界での記録係みたいに見えるのが良い。
あの巨体が動き出すと、其れまでのノッソリとした動きや、太い見た目とは打って変わり俊敏となる事でギャップが発生するのも良いぞ!
その俊敏な動きから、奴の肉体が脂肪ではなく、筋肉隆々である事が、此もまた時間差を置いて分かるのが良い。
また、あの巨体は敵怪獣との対比も美しく映える。
『アウトレイジ ビヨンド』で、塩見三省とビートたけしが怒鳴り合うシーン。
山王界の面子が揃うあの空間は、観ている此方にも圧迫感を迫っていて、中野英雄が一方的に責め立てられる姿に観ている此方もまた、ビビってしまうのだ。
その、敵陣のペースをビートたけしが怒号で掻き消すのが堪らない。
熱線のチャージ音を無意識の内に「来るぞ!」と我々(主語が大きいけど構わないでしょ?)は翻訳したが、此は《熱線が来る!》と《怪獣映画が来る!》の二つを掛けて「来るぞ!」と、無意識下で訳していたのかもしれない。
軽過ぎず、重過ぎず、しかし全体的にあの巨体から発する重さに批准する形で、レジェンダリー・ゴジラという新しいゴジラの殺陣を創造している。
先述したが、短いのが誠惜しい「もっと見せてくれ!」と懇願を乞いたくなる様な殺陣なのだ。
尚、この殺陣が無ければその後の熱線の色は褪せていただろう。
有りそうで無かったンでない?暴走アニマルVS怪獣って。
対フランケンシュタイン戦もあったンだし、アリでしょ。やりなよこの企画。
俺は来年辺り東宝さんが、CGとミニチュア特撮を活かした其なりの予算で映画化してくれると、信じているよ。