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めだか大砲さんのイラストまとめ


世界史を楽しくイラスト化したーい。
■月・水・金曜の19時くらいにイラスト投稿!
(それ以外の時も自由気ままに投稿します)
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擬人化イラストの基にした、ズップリンブルクの紋章はこちらになります。緑地に金色の王冠が映えますね。

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神聖ローマ帝国史上最も知名度が低い(?)悲哀の王家、ズップリンブルク朝!
ノルマン人に王位を与えて従えていた対立教皇を撃破するべく、教皇インノケンティウス2世が皇帝位を餌に召喚。ところがノルマン人に教皇ともども薙ぎ払われ、一代で断絶しました。

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本日1月25日は、「カノッサの屈辱」記念日!
ということで、カロリング帝国さんと教皇さんを描いた没イラストをば。ちなみに、フランク王カールが教皇に帝冠を戴いたのは、800年の12月25日。奇しくも、ドイツ王が教皇にお詫びした「屈辱」と同じ25日でした。

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カノッサの屈辱は、屈辱だけでは終わらない!

「国王が謝罪して教皇の大勝利」というイメージが強い事件ですが、実際にはそうではありません。屈辱を受けたドイツ王はローマを目指して軍を進め、びびった教皇はまたも籠城。そして、各勢力の想いはすれ違い…

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元イラストはこちら!
ハインリヒ4世が、カノッサ伯とクリュニー修道院長に教皇の説得を頼んでいる場面です。修道院とは、キリスト教の戒律に則った清貧な暮らしをする寮施設のこと。クリュニー修道院はその中の最大手であり、帝国教会制に代表される教会の俗化や腐敗を批判する改革派の根城でした。

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帝国教会制の主たるドイツ王が教皇に破門され、平謝りしたという事件「カノッサの屈辱」。
なぜ教皇に謝るのにローマではないのかというと、教皇側も国王の報復を警戒し、カノッサ伯の城砦に逃げ込んでいたからです。その悪い予感は、後に的中することに…。

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「大図解!帝国教会制」
初期の神聖ローマ帝国を支えた王家と教会の連携システム。その根拠は、ドイツ王が有していた聖職者の人事権(=聖職叙任権)でした。
聖俗ごちゃまぜ教皇完全無視の国家機構に、教皇さんの怒りが爆発します!

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オットー朝に続く帝国の御者、ザーリアー朝さん!

南ドイツに支持基盤を持ち、アルルやイタリアといった諸王国をテリトリーに加えました。が、教会組織が王国の統治機構に吸収されかけているのを危険視した教皇に文句をつけられ、''屈辱''を味わうはめに。

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ヨーロッパ大陸を大聖堂にしてみた

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第一次ブルガリア帝国さん!

東からやってきた遊牧民がバルカン半島に住み着いて農耕民と融合した国家を築く…という王道パターン。「帝国」という国号を平気で名乗り、東ローマ帝国やローマ教皇庁からも公認を得てしまう天下無双ぶりで知られます。

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