//=time() ?>
ちなみに、当時の西フランク王は「禿頭王」ことシャルル2世。
教皇の後援のもと、イタリア王位や皇帝位を手に入れて時の人となりましたが、侮っていた東フランク王族の総攻撃を受けて大敗を喫したあげく、逃走中に急死。彼の死後、西フランク王が帝冠を手に入れることは二度とありませんでした。
「アングロサクソン」とは、アングル族とザクセン族の総称です。ゲルマニア北部に住んでいた彼らの一部は、地続きのガリアでなく北に広がる海に活路を見出し、北海を渡ってブリテン島へと移っていきました。
ちなみに、前のまんがで紹介したbracteateという装飾品の多くは北海沿岸で見つかっています。
@hon_i_so_2han ササン朝ペルシアに関しては、東ローマとの大戦争とイスラーム教団の勃興がセットで起こってしまったのが不運でしたね…。どちらか一方ならば、まだ再興の余地はあったかもしれません。