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大野東人といえば蝦夷征討などでも活躍しておりますが、昨日終結してた広嗣の乱の印象が強いですね。そこから二年後に薨去してるのでそこそこの年齢だったのではないでしょうか。父の果安は壬申の乱で近江軍の将であの大伴吹負を破ったりしています。(ただし途中からフェードアウト)
記事の日付は十一月五日ですが、この中で十一月一日に藤原広嗣と綱手を斬刑にしましたと言う報告があるので今日は広嗣と綱手の忌日です。なぜか朝廷からの指示も待たずに斬刑にしてますが…
鎮圧されるまで結構粘ったなという印象があるのですがこれは九州という距離感のせいかもしれません。
紀男人は万葉集の梅花の宴での最初の歌の大弐紀卿とされています。大宰府で亡くなっており、周防国正税帳には紀男人の遺骨を運んだ骨送使の音博士山背連靺鞨が周防国を十一月十九日に通過したことが記録されています。危篤の藤原武智麻呂に正一位左大臣を贈るために橘諸兄と共に邸に遣わされたりも。