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来唐していた渤海使に随い、丁度渤海からも日本への使節が計画されてたので来日する渤海使の船で帰国することができました。ただしこの渤海使も一部遭難して大使が亡くなってます。なんか散々でしたね。
(再掲絵の左の朝元は天平六年帰国)
あまり間の記事を上げてませんが、藤原広嗣の乱が続いている中、聖武天皇が動き出しました。この東国行幸は多分前からある程度決まってたことなんだと思うんですが、とりあえずこの勅に関しては「言い方~!!」という感想。
淡路廃帝さんこと第四十七代淳仁天皇(廃されてからは親王扱い)が十月二十二日に幽閉先から逃げ出し、引き戻された翌日の十月二十三日に薨去したそうです。何があったんでしょうね。
この年の八月三日に薨去した藤原不比等へ、太政大臣正一位が贈られました。
遣わされたのが長屋王と大伴旅人というのが大事。実質政権を引き継いだのが娘婿の長屋王、不比等危篤の際に西征先から呼び戻されたのが旅人です。