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六月十四日は乙巳の変の続きで蘇我蝦夷と天皇記・珍宝の忌日でした。 国記だけ船恵尺に救われて中大兄に献上されました。 なんで、なんで焼いたん蝦夷…
6月中大兄祭なのではという感じでこの方をあげまくっている気分。 (全然よい)(もっとやれ)(滅して)
ドラマ観ながららくがき杜甫
現代語訳が間に合いませんでしたが、天平応真仁正皇太后こと光明皇后が崩御。 聖武天皇のストッパーではなく完全にアクセルでしたね。
冠位十二階以降のカラフル冠(左)から黒統一な漆紗冠になりました。 後ろにヒラヒラ(燕尾)つくのはどうやらここから。
仲麻呂A、忌日じゃないけど訃報の日なので過去絵(単体)再掲。
続日本紀中で唯一「阿倍仲麻呂」の名で見えるのがこの記事です。(他の登場記事は「朝衡」) 日本へ届いた実質の仲麻呂の訃報ですが実際亡くなってるのは宝亀元年で、真備の薨去よりも前なんですよねえ(このブランクにいつもしんみりしてしまう)
薨伝大部分割愛しましたが坂上田村麻呂の忌日です。 散々キスの日だよ~(あと恋文の日)が流れてきた後なのですが甘さのない田村麻呂を今年も再掲。
蘇我馬子が薨去。 蘇我氏のピークはここだと思ってるんですが、私の中ではやはり瓦葺きを率先してくださった方なのでそれだけでありがとうって感じです。いずれ入ってきてただろうけどこの時期の朝鮮半島ルートだからこその日本の瓦の歴史だろうし。
光仁天皇皇女能登内親王の子で桓武天皇・早良親王の甥にあたる五百枝王の「春原朝臣」賜姓し臣籍降下を請う上表文です。種継暗殺事件に連座して桓武崩御直前許され復位しています。 度々触れてるけどこの中に「万葉」の語が入ってるのが印象的なんですよね。