//=time() ?>
最初の巡察使が大宝三年で二十歳そこそこだったので、最初からそういう実務能力に長けた部分を父の不比等もわかってこういった扱いなのかも。この辺りが後の内臣任命に繋がったのかもしれませんね。
ちなみに『日本服飾史』(サイトや本)などで見られる高松塚スタイル装束を参考にして描いたのが左で、改めて高松塚古墳壁画男子像を見て描いたのが左。
各自自分の絵になってる部分あるけど結構違う。
仲麻呂F、最近ネタでいじってるやつしか描いてない感じだけど、まじで有能な人だったのにそこかしこになんらかのコンプレックスを感じられる興味深い人でした。多数の滅された息子たちも絶対有能だったと思うので惜しい。
(若い絵再掲)