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藤原仲麻呂の乱の最中ですが、大宰員外帥に左遷されていた兄豊成が右大臣に復されました。
大宰府には赴かず難波に八年留まっていたようで、豊成の反発でもあるし弟の仲麻呂もそれ以上兄をどうこうしてなかったところがやっぱ兄弟なのかなあと。
(晩年豊成再掲)
仲麻呂F、有能だっただけにその後の政権も見てみたかった気もするんだよな。
この人がやらかしたせいでこの後の真備があるとも言えますね。解釈色々なので言い切れないことが多いけど、有能がこの万能を持て余した結果かと思う。
同時期、霊亀度の遣唐使が入唐し阿倍仲麻呂なども長安入りしてますね。出会いはもう少し下ると思うけど王維はこの後二十一歳で首席で進士及第、既に有名人だったみたいです。仲麻呂こと朝衡とはどんな風に知り合ったのか想像するの楽しい