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図はレネヌテト(エジプト語で「養う蛇」の意)。「毒蛇としての性質よりもむしろ、守り育てる神の性格を持っていたレネヌテトは、収穫の女神であり乳母だったのである」(『古代エジプト神々大百科』)。
こんな図像を見ると、何が出てくるか、予想もつかない。
「寝ずの番人」は希臘語訳ではἐγρήγοροι(複数形)だが、西洋中世の「グリゴリ」はこの希臘語からの転訛である。「人の子」の娘との間に誕生した巨人は「ネフィリム」と呼ばれる。ネフィリムの長はヘレルというのだが(『悪魔と悪魔学の事典』)、ヘレルはシャヘルの母との伝説もあり、関連不明。
バビロン捕囚によって民族性消滅の危機に瀕した時、預言者イザヤの中にカナン神話が蘇ったのである。明けの明星には2つの意味がある。①φωσφόρος(「光を掲げる者」)として太陽の出現を予告する者。②太陽が昇れば光をかき消される者。この語は屢々バビロニアやアッシリアの王を指すと考えられた。
葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方神と同一神とされることもあり、また、神仏習合の発想では北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある(Wiki)。また、天から落ちて宿魂石に化したという点では、西方の聖書に出るルシフェルにも似ている。
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「アクタイオーン」(Wiki)
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は、これを画題とする西洋絵画を数多く集めてくれているので閲覧する価値がある。画家はみな男性であり、沐浴するアルテミスの裸体を見ただけで飼い犬に八つ裂きにされるという納得のゆかなさが滲め出ていて面白い。
シカモアイチジクであれ何であれ、白い樹液を滴らせるのは生命の樹の必須条件のひとつであることは繰り返し述べてきた。こうしてヤドリギが選ばれ、これに似た枝角をもつ鹿が崇拝の対象に選ばれた……。
ところが、日本列島にヤドリギはあっても、面妖なことに、これを崇拝したという民俗を知らぬ。
「水辺の鹿」という画題がある。何故に鹿は水辺に描かれネバナラナイのか?──これは問うにあたいする問題だと想う。
「水辺の鹿」
左図は小原祥邨(古邨)木版画
右図は浜田葆光 油彩
そういえば、イソップ寓話にも「水辺の鹿」というのがある。
このモチーフは、さらに「原エラム期の陶器片も似たような牡羊の頭部を示しており、両角の間に蛇の頭があり、蛇身が背中に巻きついている(左図)」(ナウマン『生の緒』)。ここから、頭の上にマムシがとぐろを巻いている長野県、藤内遺跡の土偶(右図)まではほとんど一直線と云ってよい。
メソポタミアでは淡水魚だったものが、大河を知らない希臘では海魚として、さらにはパーン神話と結びついて山羊座→磨羯宮になったことは先に触れた。
パーンは、アルカディアの牧人と家畜の神で、牡山羊と人間の合成体であった。
都も遷都を繰り返したが、最終的には西北に位置する平安京で定まったと云われると、ナルホドと思ってしまう(図はhttps://t.co/PGcYxcSw7pから拝借)。
また、阿弥陀聖衆来迎図(右図)が、どうして左上から右下へなのかの問題にも答えられそうだ。