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はすねさんのイラストまとめ


西洋前近代史と日本中近世史少々、野球と英国蒸気、そしてトマ公

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シャルル“突進公”は向こう見ずで好戦的な君主だったと言われるが、彼の勢力拡大の背景には、幾多の外交交渉や大評議会の判断が隠れている。また、シャルルが経験した戦役の大部分は“受け身”の形であった。戦時の際は敵対勢力と最後の最後まで交渉を重ね、かなり慎重に動くのである。

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cg期トーマスの好きな所
ヴィカーズタウン駅のデザイン

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リハビリのrkgk

殴り描き

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1473年に公布されたサン=マキシミン勅令の写本の序文あたりに描かれた、ブルゴーニュ軍の軍団長(正確にはconducteurだが、便宜上軍団長と呼称)の就任式
軍団長は毎年初めにブルゴーニュ公自らが任命し、その任期は1年間
軍団長は就任式の際、公から指揮棒と軍令の写しが書かれた本を受け取った

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特にブルゴーニュとベルンが友好関係にあったことは、後年のブルゴーニュ戦争を踏まえても運命のいたずらを感じさせます
そう、こいつ(チロル伯ジギスムント)の従兄譲りの優柔不断ささえ無ければ…

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ふと考えたけど、ブルゴーニュ軍の弓兵とパイク兵を合わせるという戦術は、イングランド軍の戦術を移動式にしたかったのではと思うようになった

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白黒のこんなクソ雑汚絵描きに100いいねもつけてくださってありがとうございますやでほんま

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ブルゴーニュ史を色々見てたらシャルル(右)よりもフィリップ(左)の方がやばい奴やんとなる(狡猾な絶倫親父でキレたら何するか分からんヤベー奴、晩年は領土問題爆抱えで息子シャルルに丸投げして死去)

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ノイスの戦い(1475年5月23日)、ブルゴーニュ公国vs神聖ローマの最初で最後の"会戦"なんだけど、意外とこれに言及している資料を見た事がない

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…ブルゴーニュ兵のリブリー(お仕着せ)着用については軽騎兵(coustiller)と騎乗弓兵への言及はあるが、それ以外のユニットについては名言されていないので、パイク兵や銃兵、弩兵は聖アンデレ十字の紀章のみをつけていたかもしれない

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