//=time() ?>
フランス王シャルル8世は鴨居に頭を打ち付けて亡くなったとされるが、どうやら倒れたのは頭を打ち、テニスの試合を観戦した後の事だったらしい
むしろ心血管疾患やてんかん、梅毒などが死因ではないかと考えられるという
https://t.co/3x664WL8B1
個人的に某研究おじさんを凌ぐやらかしをしたのがミシュレだと思ってる
西洋全近代史に与えた影響は大きいが、その分100年以上かけても未だに拭えない中世史への誤解と偏見を取り残していったから
エドワード王にとって1475年のピキ二ー条約は苦しい王室財政の回復とフランスとの婚姻同盟による国交強化というメリットがあったかもしれないが、結局1482年にはフランス側が条約に反して年金の停止と婚姻の破棄を行ったため、エドワードは失意の中死ぬことになった
ブルゴーニュ公シャルルは1475年に同盟者のイングランド王エドワードが離反した際、直接王の宮廷まで出向いてバチギレしているが、シャルルはエドワードが王位を追われて亡命した時も資金援助をしたり、王位奪還のための挙兵の際は軍事支援もしてめちゃくちゃ投資してたのでキレたのも無理はない
正確には第13代ウォリック伯リチャード・ビーチャムの墓碑から復元したもの(1439年死去なので鎧の様式は若干ズレる)
イングランドだからここは王道のサレットでもいいけどあえてのアーメットという選択がもうたまらん
胴鎧の曲線の溝とか腰周りの短めタセットとかもうほんとにけしからんぞ
こちらも同時代のイタリアの写本より(BNF Nouvelle acquisition française 5243 Guiron le Courtois f.19v)
サイズ感としては上記のものとほぼ同じぐらい?