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Löffelholz写本はニュルンベルクの貴族マルティン・レッフェルホルツ・フォン・コルベルクの家庭常備書として作成され、弩の他にもキャスター付きの回転椅子やコンパス、ワークベンチなどが描かれ、当時の加工技術の高さが伺えます
こちらが写本に描かれた弩の図
真ん中のネジを回して弦の固定装置を回転させ、底部のつまみを引いてロックを解除しする事で、弩の下半分がレバーの様に動きます
固定装置に弦を引っ掛け、レバーを所定の位置に戻し、矢を置くと装填完了…となります
モンジザールの戦い(1177)
サラディン軍を追跡していた16歳のエルサレム王ボードゥアン麾下の軍勢は、ジザルディ山で敵を補足
聖遺物を掲げてエルサレム軍の指揮を鼓舞すると、山を駆け下りて大奮闘
少年ボードゥアンもらい病に犯されながら自ら奮戦し、サラディンは戦死する寸前まで追い詰められた
ナバス・デ・トロサの戦い(1212)はレコンキスタの中でも伝説的な扱いを受けている戦いで、十字軍側は敵ムワッヒド軍の2分の1しか無かったが、ナバラ王が少数の騎兵で英雄的突撃を行い、敵将ムハンマド・ナースィルの居る本営まで一直線
大混乱に陥ったムワッヒド朝軍は大潰走する
ヨーロッパクソ雑魚説は飽き飽きしたので、騎兵十数騎で1、2万のアステカ軍の中を暴れ回って的確に敵の隊長格を討ち取っていき勝利したオトゥンバの戦いも知られてほしい
ちなみに兄エドワード5世について、
・暗殺の実行犯ティレルは2人の遺体の場所について明言せず
・デボン州コールドリッジ教会にエドワードを模したステンドグラス
・1484~85年に同地の荘園領主を務めた「ジョン・エヴァンス」という男の墓石がステンドグラスを見つめるように安置
など、生存を匂わせ https://t.co/2h1MZwHySP
「コンキスタドール」と言えばモリオン兜にキュイラス、剣と盾みたいな左のイメージが強いけど、コロンブス時代(15世紀末)だとどちらかと言えば右
ただし武器(剣盾や長柄、銃)に大差は無い
大乱関ヶ原の家康、老いて判断力を欠いてると言われるが、そう言われるのって時局を大きく見て行動する大老ゆえガバが目立ちやすく、反対に現場の判断で動いて後々のガバが積み重なっていく奉行らとの違いが原因なのかなと
つまり後先を考え過ぎる家康ととかく現状処理を優先する三成との違いかなと