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はじめの表情の描写は基本口の両端がつり上がったスマイルの場合が多い。
セカイ系アニメの主人公は大体シチュエーションに応じて喜怒哀楽の表情変化が激しいリアクションをするのが常であるが、はじめの場合は其の点でも異色だ。
内面心理の起伏が外面には殆ど表れない。
生存戦略は一方通行ではない、お互いの愛を真に分かち合う事で成就されるのだ。
『輪るピングドラム』はハッピーエンドで終わるが、何度観ても切なく悲痛な哀しみが込み上げてくるラストでもある。
そして2010年代のアニメでは最も強いインパクトを残し、感動を与えてくれた名作だ。
『輪るピングドラム』の後半は終末思想の象徴である、渡瀬眞悧の黒い野望からなる障害を高倉兄弟が如何に乗り越えるかが焦点となる。
ソコで鍵となるのが「ピングドラム」であり、その正体は人一人が持つ限りある「愛」という名の生命力を他者に分け与える事だ。
その愛の形はリンゴで表される。
プリンセス・オブ・ザ・クリスタルが闇ウサギと呼ぶ眞悧はセカイ系ジャンルが持つ負の要素の集合体的存在だ。
プリクリの正体である荻野目桃果とかつて相討ちになり、幽霊として自らを呪いのメタファーと称する事からも分かる様に、其のキャラクター性は90年代の終末思想を体現した亡霊でもある。
『C』作中での「ワタシとアナタ」は敵対する公麿と荘一郎であり、ヒロイン真朱との関係性にも当て嵌める。
若者と大人による世界の行く末を決める闘争、そしてアセットである真朱は公麿にとっての未来そのものだ。
セカイ系アニメでは定番の「ロマンス要素」もあり最も注目すべき所である。
2010年代で最もエポックだったセカイ系アニメはやはり『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)だろう
ダークな話が展開される終盤くしくも其の放送期間中に3.11が起こり終末思想がぶり返す事にもなったが、まどか以降のセカイ系アニメは終末的展開を如何にキャラクターが「乗り越える」かが主軸となっていく
そして2000年代でエポック的立ち位置のセカイ系アニメは『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)だ。
超常的存在ハルヒに対する主人公キョンの選択が世界の命運を左右する展開運びは、典型的なセカイ系アニメに於ける「ワタシとアナタ」の構図だ。
其のライトな作風によってより入り易さを実現した功績は大きい。
此はセカイ系ジャンルの「世界」に於いて「ワタシとアナタ」というエヴァにもあった相対構図がウテナによってより明確になったとも言える。
やはりセカイ系アニメは「主人公」と「ヒロイン」の関係性が重要だ。
ソレが同性であっても主人公とヒロインによる相対効果が働く場合もある。
エヴァにあった抽象的表現要素を整理整頓し、よりセカイ系としての研きをかけ洗練させたのがウテナだ。
同時に普遍的である戦うヒロイン=フェミニズムをテーマにもしたアニメである。
ウテナに於ける「セカイ」とは学園の中だけの事だ。
高い塔から見渡せる範囲だけが世界の「全て」なのだ。
その内容はオーバーロードという地球人より遥かに高度な進化を遂げた異星人が人類を導き、主人である精神集合体オーバーマインドという神とも呼べる存在へと統合させる。といった物だ。
最終的に旧人類や地球自体も消滅する最後は、今まで読んできたSF小説の中でも一番インパクトが強い傑作だった。