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何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいる。
絵にしても小説にしても遊びにしても大切なのは
突き動かす衝動であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があること。
記憶力、計算力、語彙力、情報処理力などの
能力が求められるが
可愛い、美しいと感じたり感動したりする情動を
つかさどる前頭葉が機能しなければ
家族や友達と幸せな日常を過ごすことはできない。
人には
アートとサイエンスの両方が必要。
美意識、文化を日常的に感じていると
生活に張りがでる。
西洋における自然観は
人間と対置した自然であり、主観、客観が区別されたまなざしがある。
東洋においては自然と自己の境界は曖昧なので
人間だけではなく、山や海、空や雲、名もなき雑草、雑木、めだかやトンボでも本気で向き合って描いている。
絵を描くと心と体がクリアーになる。
ただ頭の中だけで
漠然とイメージするよりは
実際に紙面に絵を描き、
視覚で確認していった方が
イメージを的確に修正でしていける。
発想を具体的に展開していきやすくなるので、
理想の現実に近付けていくことができる。
デッサンをみるとその作家の視点がみえてくる。
ロダンの彫刻作品とデッサンは女性を肉感的にとらえ
やわらかくしなやかに表現している。
女神がテーマでも
男性モデルを使って描いていたミケランジェロの表現とはだいぶ違っていることが分かる。
自分のことだけを考えていると
不安で空しくなるが、
誰かのことを想うと気持ちが開けてくる。
自分勝手に良かれと思ってやったことが
習慣や考え方の違う相手の心を
傷つけてしまうこともある。
何事も相手をよく観て、
理解することからはじめた方がいい。
画家や音楽家、料理人、小説家、漫画家など
あらゆるジャンルにおいて
アマチュアとプロと呼ばれる人の違いは
技巧や専門的な知識より
意外と取材能力にその差がでる。
ここで重要なのは
取材する物質的な量というよりは
情報の質や視点の独創性。
ベランダに小さな花壇を造った。
頭の中が整理されていく充実した時間だった。
バルビゾン派と呼ばれる画家たちは、
ただ田舎暮らしを楽しみたい人たちではない。
都会の下らない権威や醜い争いから離れることで
客観的に俯瞰して見直した。
人間本来の生き方を探求し
価値返還を起こそうとした賢者。
追い求めたいといった執念が感覚を鋭くする。
晩年、視力をほとんど失った印象派の画家ドガ。
経験と記憶で絵具の色の違いを嗅覚で嗅ぎ分けて描き、
手の感触をたよりに彫刻を造った。
追い求める強い気持ちは
潜在する機能と才能を開花させる。