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宮城県栗原市の蜂沢要害。 佐藤氏の居城でした。 佐藤氏は大崎氏に仕えた豪族でしたが、葛西大崎の乱の後に当地に帰農した伝えられています。
宮城県登米市の岩切館。 伝承では、坂上田村麻呂の御台所の鈴鹿御前の居館だったということですが、とても信じられません。 実際には葛西氏に所属した豪族の居館だったのではないでしょうか。 縁部に横堀を巡らせ、中央部がポツンと高い主郭になっているという、変わった城です。
宮城県登米市の米谷城。 もともとは米谷氏の居城でしたが、近世以降も伊達氏の要害として存続され、柴田外記が居城としていました。 寛永の伊達騒動で柴田外記が死去した後は、高泉氏の居城となりました。 柴田外記を斬った原田甲斐の墓が、この近くにあるのは不思議です。
@kasuten @LeFraisier14 ここ、本当に縄張練習にはもってこいですよね。 お勧めです。 ところで、この20年ぶりに東条太田城に寄ってみたのですが、学校がなくなり、ソーラーシステムに占拠され、別の場所かと思うような状態になっていて驚きました。
古墳もなかなか楽しそうですね。 私のページでも、古墳もまあまあ紹介してます😅 https://t.co/ZkTA0pvk1v
宮城県石巻市の樫崎館。 伝承では城主は男沢内膳。男沢氏は山内首藤氏の家臣で、永正合戦の際、葛西宗清に攻撃され、落城してしまったとのことです。 比高20mほどなのですぐ登れますが、ヤブをかき分けて進むしかありません。 主郭には壊れた神社があったので、どこかに参道があるのかもしれません。
宮城県石巻市の塩野田館。 八代斎三郎あるいは須藤勘解由左衛門の城であったと伝承されていますが、詳細は不明です。いずれにしても葛西氏に属した豪族の居城だったと考えられます。 案内板のある公民館の所から登って行くと、八雲神社の脇に堀切や横堀が確認できます。
帝国文庫の『紀行文集』 貝原益軒の作が多いのですが、貝原益軒って、こんなに紀行文を残していたんですね。当時の地方の状況がよく分かります。 月報も付いていました。昭和初期の月報って、なかなか貴重です。
静岡県森町の鴨山砦。 歴史については未詳ですが、この地域は戦国期に徳川氏と武田氏が対峙していた場所で、それに関連する多くの城郭が残されています。鴨山砦もその一種だったのではないでしょうか。 ただし、加工度はそれほど高くなく、簡素な施設です。
こんなのもありますよ~(東三河) 先に紹介したのも合わせて、車を降りて5分以内に城内に到達できるお城ばかりです😊